耽溺
本文約55,200字 ・ 読了時間 約111分
あらすじ(AIが作成しました)
国府津の海岸にある寺の一室を借りるはずが、手違いで隣接する料理屋に身を置くことになった「僕」は、執筆の傍ら、そこに住まう娘や芸者に英語を教える。しだいに料理屋の人々との関係や、自身の家庭内にある病や荒んだ心境が交錯し、精神的な疲労と倦怠感を抱えながらも、刺激的な享楽を求める不安定な心理状態に陥っていく。本作は、行き場のない孤独と虚無を抱える一人の男の日常と、内面的な葛藤を綴る。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
僕は一夏を国府津の海岸に送ることになった。友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持の紹介を得て、素人の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚本を書きたいので、やかましい宿屋などを避けたのである。隣りが料理屋で芸者も一人かかえてあるので、時々客などがあがっている時は、随分そうぞうしかった。しかし僕は三味線の浮き浮きした音色を嫌いでないから、かえって面白いところだと気に入った。
僕の占領した室は二階で、二階はこの一室よりほかになかった。隣りの料理屋の地面から、丈の高いいちじくが繁り立って、僕の二階の家根を上までも越している。いちじくの青い広葉はもろそうなものだが、これを見ていると、何となくしんみりと、気持ちのいいものだから、僕は芭蕉葉や青桐の葉と同様に好きなやつだ。しかもそれが僕の仕事をする座敷からすぐそばに見える。
それに、その葉かげから、隣りの料理屋の綺麗な庭が見える。燈籠やら、いくつにも分岐した敷石の道やら、瓢箪なりの――この形は、西洋人なら、何かに似ていると言って、婦人の前には口にさえ出さぬという――池やら、低い松や柳の枝ぶりを造って刈り込んであるのやら例の箱庭式はこせついて厭なものだが、掃除のよく行き届いていたのは、これも気持ちのいいことの一つだ。その庭の片端の僕の方に寄ってるところは、勝手口のあるので、他の方から低い竹垣をもって仕切られていて、そこにある井戸――それも僕の座敷から見える――は、僕の家の人々もつかわせてもらうことになっている。