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TORENDIA

茶美生活

本文約4,700字 ・ 読了時間 約10分

あらすじ(AIが作成しました)

新年早々、世のお茶人たちの現状に批判の声を上げる。著者によれば、古人の芸術的美をもって成り立つ茶道は、現代では道具の金銭的価値や名声に執着するあまり衰退している。職業茶人による指導の弊害を指摘し、名器名幅を教材として真の美的感覚を磨き、総合芸術としての茶道を再構築すべきだと論じる。知識のみに頼るのではなく、真の眼力を養うことでこそ、本来の茶の楽しみや伝統の継承が可能になるという強い信念を綴る。

北大路魯山人

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🎧 茶美生活 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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新年早々から、縁起でもない、茶遊び攻撃などして、と集中砲火の返報が来そうであるが、茶の道を愛すればこその信念の一途から、とうとう止むに止まれず、あえてバク談投下を試みた次第。この点、寛大に諒とせられんことを望んでいる。

特に作法にやかましい、お茶人を相手としての戦いを挑んだ以上、卑屈は禁物、遠慮もほどほどにして、それよりも率直に存分を述べ、さあいかにと、正面切った方が偽りない作法ではないのかと、自分なりの考えをつけ、この押しのきき目あるなしを案じている……、というところである。これしきのこと憚っていたのでは、自分が自分らしくないことになると気がついて、勢いづいたとでもいうところである。

しかし、無遠慮に人ごとをかれこれいうことは、十分心遣いはしていても、大なり小なり人に迷惑のかからないわけはないと、これも察するにあまりはある。むやみやたらと無頓着にかれこれいっているわけでもないから、もとより罪あれば罪に服する覚悟が出来た上でのことである。

さて、その率直な存分とはとなると、ついに一応ぶちまけてしまわなければならないが、そもそもわれわれが物心ついてから後に識り得たお茶人、または茶道関心のもとにたって、日常生活を楽しみつつある人々の遊び振りにかかるのであるが、この遊び振りが、いかほど光り輝いているのであろうか、という点である。他のすべての趣味にまさるとも劣らないまでに、立派に光り輝いて、遊び続けているのであろうか、という点である。

三、四百年前の生活者、知能も品位も高き情操豊かな人々の苦心と愛情によってつづられた聡明たる美をもって成りたった茶道が、今は台なしになっているようなことは、なかろうかと案じられる点である。

率直に案じてみれば、今わずかに茶道のほんの一部だけが残って、心細く余燼を燃やしているに過ぎないのではないのかとも考えられる点である。

私は先年、金沢市で多くの茶道家? を相手に講演して、次のようなことをいい、新聞種にまでされたことがある。

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