汽船が太平洋を横断するまで
本文約14,100字 ・ 読了時間 約29分
あらすじ(AIが作成しました)
カリフォルニアでの金鉱発見は、アメリカにとって太平洋岸という新たな市場と人間を約束する転換点となり、ゴールドラッシュを巻き起こした。この動向は帆船中心であった太平洋航路を一変させ、サンフランシスコと上海を繋ぐための汽船航路の開拓と石炭補給地としての日本開港を不可欠にした。本書は、太平洋横断航路の成立背景や日本開港に至る国際的な商業上の動機と、当時の汽船技術の発展と世界経済における役割を論じる。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
さてアメリカだ。この国に生じた最も重大な、二月革命よりもっと重大な事実は、カリフォルニヤ金鉱の発見である。発見後せいぜい十八ヶ月の今日、既にこれがアメリカの発見そのものよりも遙かに大規模な結果を齎らすだろうことを思わせる。
――カール・マルクス 一八五〇年一月三十一日
一 扁平な世界
悲喜劇にはじまった飛行機の太平洋横断は、実現までにどれほど騒々しいジャズの幾場面をもったものかしれないが、これにくらべると汽船のそれは、記録も怪しいくらい忘失された出来事のように見えて、じつははるかに大掛りなメロドラマだった。
汽船にだって賞金付で騒がれた歴史はある。一八二四年には、一定日数内に英印間を乗切った汽船にたいする八千ポンドの賞金がインドで発表された。そのため四百七十トン百二十馬力の汽船がデットフォードで造られ、翌二五年八月十六日にファルマウスを解纜、百十三日目にカルカッタに着いた。だが、賞金が出るくらいだから、大洋航路が汽船会社の算盤に合うのはまだまだのことだった。さてこそ、これと前後して、インド政府に身売のつもりで英国から押渡った汽船ファルコン号は、あわれ生新しい汽罐も両輪もはぎとられて、ただの帆船としてやっと買手がついたという。
大洋航路の汽船会社は、ようやく三十年代の終頃になって設立された。
東洋航路 The Peninsular & Oriental Steam Navigation Company(P & O), 1837
大西洋航路 The Cunard Company, 1838
太平洋航路 The Pacific Steam Navigation Company, 1840