黒船前後
本文約9,700字 ・ 読了時間 約20分
あらすじ(AIが作成しました)
鉄造船技術の進歩に伴う巨大船の建造と、帆船と汽船の闘争の歴史を綴る。十九世紀の技術革新は船の大型化を可能にしたが、経済的側面では帆船と汽船の競争が続いた。商船として落第した巨大船「グレート・イースタアン」が海底電線敷設船として転身した経緯や、補助汽走船という折衷的な船の動向を論じる。技術の変遷と船舶経営における矛盾を描き出し、帆船時代の終焉と技術による解決の歴史的過程を考察する。
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一
鉄で船を造ることは、技術的には、ヘンリー・コートが鉄板製造法を発明したことで(十八世紀末)可能になった。だがその後も長いあいだ、水に沈む代物で船が造れるもんかという意見が支配していた。いまだからこそ一口噺にでもありそうな気がするのだが、十九世紀十年代のはなしとして、英国王室造船所の技師長が、有名な造船業者スコット・ラッセルにむけて、
「鉄造船のはなしは聞きたくもない、だいいち、自然に反している!」
といった。
八トンほどの河船で、船名をトライアルとつけられた最初の鉄造船(一七八七年)が英国でできてから、二番目の鉄造船ができるまでに二十年も間があった。ナポレオン戦争も済んで貿易と船舶業が恐しい繁栄時代にはいって、何よりも船材(英国産樫材)が暴騰した。利潤のためには鉄の意志をもつ船舶業者は本気で鉄造船の試図をやりはじめた。
自然に反するどころではなかった。鉄造船は同じ図体の木造船にくらべてかえって総重量は軽いことがわかった。
当時の技術をもってして鉄造船の場合船体および艤装を合わせて重量は排水トン数の三十パーセントで済んだが、木造船の場合は四十パーセントだった。
鉄造船は同一トン数の木造船より四分の一だけ軽く済んだ、したがってそれだけ貨物積載量が殖えた。
耐久力の上ではいうまでもないが、一八三四年に鉄造船ガリイ・オーエン号が処女航海で暴風を喰った。ほかの木造船は完全に難破したがこの船だけは無傷だった。
それでもまだ諸国逓信省は郵便物の托送を頑として鉄造船にたいしては拒みつづけた。「自然に反する――浮ぶはずがない」という以前の曰くの代りに「自然に反する――コンパスを狂わせる」という信条だった。一八五四年にメルボルン行の鉄造帆船テイラアがラムベイ・アイランドで霧のため難破して三百三十四人死んだ。もってコンパスにたいする憂いの実証とされた。
世界に君臨する大英国海軍ですら、鉄造戦艦をはじめて持ったのが一八六〇年である。