TRENDIA CLASSIC

新撰組

服部之総

1 / 11

一 清河八郎

夫れ非常の変に処する者は、必らず非常の士を用ふ――。

清河八郎得意の漢文で、文久二年の冬、こうした建白書を幕府政治総裁松平春嶽に奉ったところから、新撰組の歴史は淵源するのだが、この建白にいう「非常の変」には、もうむろん外交上の意味ばかりでなく、内政上のいみも含まれていた。さて幕末「非常時」の主役者は、映画で相場がきまっているように「浪士」と呼ばれたが、その社会的素性は何とあろうか。

文久二年の春の伏見寺田屋騒動、夏の幕政改革、秋の再勅使東下――その結果将軍家は攘夷期限奉答のため上洛することとなり、その京都ではすでに「浪士」派の「学習院党」が陰然政界を牛耳っている。時をえた浪士の「非常手段」は、文久二年師走以来の暦をくってみるだけでも、品川御殿山英国公使館の焼打、廃帝故事を調査したといわれた塙次郎の暗殺、京都ではもうひとつあくどくなって、「天誅」の犠牲の首や耳や手やを書状に添えて政敵のもとへ贈り届ける。二月になると京都の岡っぴきは皆怖がって引退する。

このような事態のうちに、清河八郎の建白による「浪士組」が、組織され、やがて分裂してそのなかから新撰組が、討幕派浪士を検索する京都特別警備隊としての役割につくが、こちらのほうもやっぱり同じ「浪士」である。この浪士とかの浪士の、同一性と差異性をあきらかにするには、それによってひろくは幕末非常時諸戦士の社会的素性の問題にも触れ、やがて新撰組の歴史を釘づける運命的な地盤そのものに達するには、伏見寺田屋事件をかえりみるのが近道だろう。

服部之総の他の作品