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TORENDIA

撥陵遠征隊

本文約12,800字 ・ 読了時間 約26分

あらすじ(AIが作成しました)

江戸時代末期、攘夷戦勝国として強固な排外主義を掲げた朝鮮に対し、欧米列強は開国を迫った。本書は、一八六八年に発生したオッペルトらによる王陵発掘未遂事件の経緯を詳述する。フランス人宣教師や米国の元領事館通訳らが関与したこの遠征の実態と、その背景にある各国の利害関係や思惑を史料に基づき克明に描き出す。加えて、その後の米国による江華島への武力遠征と、それに対する大院君率いる朝鮮側の応戦の様相を論じる。

服部之総

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「攘夷」は幕末日本の専売ではない。シナの方がもっと大規模でも深刻でもあった。そして朝鮮をこの点でシナや日本から区別するものがあるとしたら、明治八年までこの国だけは、断然攘夷戦勝国として、いい気持でふんぞり反えれたという点であろう。もっとも近代朝鮮の排外スローガンに「夷倭」とならべ記したのから弁じて、「攘夷」を欧米人に限られたことがらと見れば、明治八年日本に屈服したことなんか当然問題外となって、朝鮮はおよそ攘夷で負けた歴史を持たぬことになる――まことに大日本帝国にとっては、「併合」するに恥かしからぬ国柄であった!

朝鮮攘夷運動の大立物大院君は、摂政として全実権を収めていたから、幕末の副将軍家水戸斉昭の比ではなかった。摂政となって二年目(一八六六)、当時潜入中の仏人天主教宣教師十二名中九名を断首して、剛愎な排外主義の火蓋を切った。

同様のことは十七年前にもあって、およそ十八世紀末以降の朝鮮西教史は、保護者フランスの面目丸つぶれといった形だったが、一八六六年(慶応二)といえば、日本もシナもちょっと対外問題が収まった閑時だったから、朝鮮国王をフランス皇帝の保護下におきキリスト教徒たらしめる旨を前もってシナに宣言したうえで、七隻のフランス艦隊が江華島に攻め寄せた。かろうじて朝鮮を脱出した三名の仏人宣教師が、この「聖戦」の案内役として先頭に立ったのはいうまでもない。

ところが、下関戦争ではさすがの武士道国民に物もいわせなかった近代的軍隊も、一つは安心していたせいもあるが、結局八百名の朝鮮虎手の旧式火繩銃にのされてしまった。虎は一発勝負だ。八百発のねらい撃ちである。正規兵の代りに全朝鮮の虎猟師を駆集めたなぞは、楠正成そこのけの戦術家だった。

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