本文へ移動
TORENDIA

赤い鳥

本文約34,800字 ・ 読了時間 約70分

あらすじ(AIが作成しました)

冷吉は、読んだ小説の中の赤い鳥を逃がす女の姿を自身の理想として重ね合わせ、孤独な日常を送っていた。ある時、療養先で出会った女の面影にその姿を重ね、恋心を募らせる。退院が決まり、自身の抱いた切ない記憶を大切に抱きながら、冷吉はあの女の記念として赤い鳥を飼うことを誓い、病院を去る。本作は、空想の恋と現実の間で揺れ動く少年の内面と、移ろいゆく記憶の残影を繊細に描き出している。

鈴木三重吉

🎧 まだ音声版はありません

リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。

💰 この本を応援する(投げ銭)

1 / 43

冷吉は自分には考へる女がなかつたものだから、讀んだ物の中の、赤い鳥を遁がして出て行く女を、自分の女にして考へてゐた。そのために自分に女のないのが餘計に暗愁を増すやうな事もあつたけれど、それでも外に何もないのだから、やつぱりその女を考へずにはゐられなかつた。

それは表紙が好きだから買つて來た、譯したものを集めた、或本に出てゐた小説であつた。冷吉はいつも、その女が家から遁げて出かけて、窓の鳥籠を下しに引き返すパセイジを考へ浮べるのが癖になつてゐた。

その本は母に見附けられて、間もなく取り上げられて了つたから、その小説の作者の名前も、耳馴れぬ長い外國名前だつたといふ事しか記憶してゐなかつた。けれども、冷吉にはもとよりそんな事はどうでもよかつた。何の本でもたゞ戀の事さへ書いてあれば、解らないところがあつてもいゝから、ずん/″\貪つて讀んでゐた。

戀の女はグレツチエンといふ女である。そこはオランダの、何とかいふ、昔からの物の蹟の多い、古い町であつた。相手の青年畫家は、フランスからこの町へ來て、こゝの女のしめりつぽい碧い目と、琥珀色の絹のやうなふさ/\しい髮と、純白な裾長い着物を着た、典雅な姿を寫し取るために止まつてゐた。さうしてそんなモデルに相應しい女を見出す前に、或古い寺院の壁畫に畫かれた、十字架に倒れたキリストを取り下して、窃かに土に葬り入れつゝあるマグダーレンが、わが求めて來た女の型をしてゐるのを戀ひて、その女を活きた女のやうに毎日見に行つてゐたが、或夕方、同じこの畫の前に禮拜して、最早薄暗くなつた圓柱の蔭に下りて行く一人の女の、目差と膚と、白い着物の痩せた形とが、壁畫のマグダーレン自身が拔け出たよりも、もつとそれに似て居るのに愕いて、その儘どこへどう去つたとも別らぬその女に戀ひ移る。

青年はそれからは毎日その姿を求めて町をさまよふのであつた。さうして話の記載の何頁かを置いて、再び夕方の或物古い町角で、その、わが悲しい妻となるべきグレツチエンが、圖らずも、小さい雨の中を、この男の戀ひ求める目の前を過ぎるのに會ふ事が出來た。

鈴木三重吉の他の作品

同じジャンルの朗読つきの本