TRENDIA CLASSIC

令嬢エミーラの日記

橘外男

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囂々たる社会輿論のうちにこの凄惨極まる日記を発表するに当っては、まず当時の受けた衝撃なり戦慄なりを、実感そのまま読者にお伝えすることが必要であろうと思われる。そしてそれらの感情を読者に受け取ってもらうためには、まずこの日記の発見された当時の情況や、その前後の顛末を述べることがもっとも早道と考える。

諸君も御承知のとおり、葡領西阿弗利加アンゴラと白耳義領コンゴーとは、年中国境紛争の絶え間もない植民地であった。というのは、両国とも各々植民地経営にはさしたる卓抜なる手腕を有せず、本国から派遣している官吏また怠惰であって行政乱脈を極め、綱紀はいっこう振粛していないところへ持ってきて、この近辺一帯は土人密輸の本場と謳われ、ことにアンゴラの首府ロアンダの北方サンサルバドルよりコンゴーのマタディ港へ通ずるコンゴー盆地条約による自由地帯付近は密輸のもっとも激甚なるところとして注目を惹いているのであったが、なにぶんにも国境付近は蜿蜒たる大山脈つらなり、加うるにコンゴー南東部を限る大密林が進出してきているので、その警戒なぞは到底限りある官憲の力の及ぶところではないのであった。そして大規模の密輸が発覚すると、たちまちこの国境画定が両国当事者を騒がせていたのであったが、今も言うとおりその国境たるや、一九一二年、両国の本国委員たちがただ地図の上で線を引いたに止まり、現地実際においては獅子の棲む無人の荒野を走り、毒蛇の巣くう灌木草原地帯を貫き、あるいは大密林、山領重畳たる高山の頂を縫い、到底これを実際に画測すべくもないものであった。

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