TRENDIA CLASSIC

兄の声

小川未明

1 / 6

おかあさんは、ぼくに向かって、よくこういわれました。

「小さいときから、おまえのほうは、気が強かったけれど、にいさんはおとなしかった。まだおまえが、やっとあるける時分のこと、ものさしで、にいさんの頭をたたいたので、わたしがしかると、いいよ、武ちゃんは、小さいのだものといって、にいさんは、おこりはしなかった。ほんとうに、がまん強い子でした。」

ぼくは、そうきくと、物心のつかない幼時のことだけれど、なんとなく、いじらしい兄のすがたが目に浮かんで、悲しくなるのです。

兄が召集されてから、後のことでした。

えんがわに、兄のはいていたくつがかわかしてありました。まだ落とし残されたどろがついています。朝晩、兄は、このくつをはいて、通勤もすれば、また会社の用事で、方々をあるきまわったのでした。ときどきは、映画館の前にも立てば、喫茶店へも立ちよったでありましょう。なにしろ、かけがえのくつを持たなかったから、かかとはへるにまかせて、いたんでいました。もっとも、一度、街頭で朝鮮人のくつなおしに裏皮をとりかえさせて、月給のほとんど全部を払わせられたことがあります。考えれば、このくつには、兄のふんできた生活の汗がにじんでいるのでした。形がいびつとなって、ところどころ穴があいているのも、心なしにながめることは、できません。

兄のところへ、友だちが、たずねてくると、しぜんと生活の感想や、世間の様相が話にのぼりました。兄のこれらの意見も、このくつをはいて、あるくうちに得られた体験でありましょう。

兄は、こういうのでした。

正直で、しんせつで、謙遜な人というものは、たとえ、はじめてあった人でも、もうこれまでにいくたびもあったことがあるような、なつかしさをおぼえるものだ。

「あなたとはいつかどこかでお目にかかったことがありますね。」と、ききたくなることがある。そんなときは、しいて自制しながら、

「なんで、そんなことがあるものか。きちがいでないかぎり、だしぬけに聞かれるものではない。」と、自分をしかるのだ。

また、こんなおかしなことを空想することもある。

「もしかすると、前世において、出あった人かもしれないぞ。」と。

小川未明の他の作品