いつものようにぼくは坂下の露店で番をしていました。
このごろ、絵をかいてみたいという気がおこったので、こうしている間も、物と物との関係や、光線と色彩などを、注意するようになりました。また坂の上方の空が、地上へひくくたれさがって、ここからは、その先にある町や、木立などいっさいの風景をかくして、たとえば、あの先は海だといえば、そうも思えるように、いくらも空想の余地あるおもしろみが、だんだんわかってきました。
その日は、からっとよく晴れていました。ただおりおり風が、砂ぼこりをあげて、おそいかかるので、気持ちがおちつかなかったけれど、毎年、夏のはじめには、よくある現象でした。
ちょうど、若い女が、店の前へ立って、石けんを見ていましたが、ここをはなれて、あちらへいきかけたときです。とつぜん、坂の上から、おそろしい突風が、やってきて、あっというまに、女のさしている日がさをさらって、青空へ高く、風車のように、まきあげました。それは、またはなやかなアドバルーンのようにも、糸が切れた風船玉のようにも、うすべに色をして、美しかったのです。そして、日がさは、くるりくるりとまわりながら、あてもなく飛んでいくのでした。
このとき、通りかかった人々は、たちどまって、上をむき、あれよ、あれよといってさわぎました。けれど、なかには、自分になんの関係もないできごとといわぬばかり、ふたたび見あげようともせず、さっさといくものもありました。こんなさいちゅうに、たぶんこのあたりをうろつく、浮浪児でしょう。
「おれが、ひろうぞ!」と、叫んで、二、三人往来の人をかきわけ、かけていきました。
風に、日がさをさらわれた、女の人は、顔を赤くして、とりかえしのつかぬことをしたと思ったのでしょう。いそいで、その方向へいきかけましたが、五、六歩もいくと、きゅうに思いとまって、もどりかけました。そして、店の前まできたので、
「そんなに、遠く飛んでは、いきませんよ。」といって、ぼくは女の人を力づけようとしました。
「いえ、だれかすぐにひろってしまいますでしょう。」と、彼女は答えて、もはや、あきらめたように、いってしまいました。