民衆芸術の精神
本文約3,100字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
ミレーの絵画にみる貧しくも真実な民衆の生活や、レムブランド、トルストイの芸術がもつ人間性を論じる。虚偽や罪悪に満ちた生活に潜む脆弱さを指摘し、愛と平和、労働を重んじる民衆の魂の強さを強調する。また、レーニンの革命的側面にも触れつつ、物質的豊かさではなく、共に喜び苦しむ共存の愛こそが重要であると説く。本書は、このような人間本来の美しい感情を鼓舞し、真理を志向する芸術こそが民衆芸術であると主張する評論である。
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ミレーの絵を見た人は、心ある者であったならば、誰しも涙ぐましさを感ずるであろう。ミレーは貧しい人間の生活をほんとうに見ているように思われます。貧しいといって、それは、田舎の百姓の生活であり、また、無産者である多数民衆の生活であります。
邪念なく労働に服する人、無心に地の上で遊んでいる子供、そして、其処に生きているには変りのない、人間も、小羊も、また鶏に至るまで、同じ霊魂を持つことによって、軽かな大空の下に呼吸することに於て変りのない、其等がみんな仲の好い友達であり、さびしい時の話相手であることを、ミレーは厚く見ていたのであります。
私は、いま、彼の描いた、田舎家の一隅を思い出さずにはいられません。それは、まだ年若い母親が、膝の上に乳呑児をのせて、何かあたゝかなものを匙ですくって、急がずに落ついた調子で子供に与えています。子供は、柔らかな長い衣物に包まれている。そのなよやかな、弱々しく見える、肉体の表わした衣物の上の線は、実にほゝえまずにはいられないほど無邪気な、何ともいえない、また貴い味いを、腰かけている母親の温かな、ふっくらとした膝の上に描いています。
あくまで描く上に真実であるミレーは、これだけに満足しない。傍には土鍋の如きものに、多分牛乳か、粥のようなものが入っているのであろう。其れから白い湯気が立ち上っています。うす暗い、煤けた家の裡の陽炎のように上る湯気には、また限りないなつかしさが籠る。そして季節は秋の末であろうか、ストーヴには火が燃えている。小猫が、安心をして、其の傍に火の方を向いて坐っている。
ミレーは、独り、この絵ばかりでなしに、どの絵に於ても、あまり多くを語り過ぎると思う程であります。しかし、そこにまたミレーの真実さがある。正直に見、正直に感じ、そして、それについて多く、深く思い、さらに天地の間の生命ある者に即して思う。画家にして、同時に熱烈な詩人であったミレーの永久に民衆の良心に培う叫びが聞かれる所以なのです。