TRENDIA CLASSIC

何を作品に求むべきか

小川未明

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作品が、その人の経験を物語り、それ等の事実から人生というものを知らしめるにとゞまって、これに対する作家の批評というようなものがなかったら、何うであろう。最も、ある人々は却って、芸術に、その批評を必要としないという者がある。

それ等の人々は、たゞ、経験をありのまゝに語ればいゝというのだ。その経験は裏付けられた、作家の主観が、即ち、その作品の厚みであり、深さであるから、批評めいたものを、必要としないというにある。

主観の必要なことは、いまさら言うを要しない。たゞ、批評ということに、全部の問題がかゝっているのだ。

然らば事件という事はそんなに重要なことか。重要なら、何のために重きをなすのか。それが、畢竟作品に変化を与え、面白く読ませるというに過ぎないなら、そこに疑いがあるであろう。

作品は、面白く読ませるということを、一条件としなければならぬのは、言うまでもない。しかし、何が面白く、何が面白くないということも、読者の態度と要求によって検議を要する。ただ、作品は、筋の面白味を言うのでないということだけは、少し思想のある人々は、既に、知っている筈なのだ。

どんな、複雑した、また、波瀾に富んだ事件であろうと、それについて真に深刻なる人生味を感ずる者は、実に、この経験者自身を措いて、他には決してないであろう。

所詮、芸術は、いかに如実に、現実を再現しようとしても、たゞ、事件それのみを語ることを目的としたり、畢竟、直接の経験した者の実感以上には、出ることができないのである。

芸術が、経験を通じて、何ものかを語らんとしていることは、事実である。

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