一 一体宗教というものが科学によって破壊されるものかどうかと云うことが疑問だ。科学によって破壊されるような宗教は宗教ではない。換言すれば、知識によって破壊されるような信仰は信仰ということが出来ない。私は人間の安心というものが科学によってのみ保証されるとは思っていない。人間性というものが、科学との間に矛盾を来たすとも考えていない。唯物史観は真理であるけれども、人間の精神的の飛躍がなかったら創造されぬ如く、感情の真も知識の真も畢竟するところ合致すべき一点があるように考えられる。
二 その話は別として、先般の反キリスト教同盟というものは、まさに昨年四月から北京に開かれた世界キリスト教青年大会と対立して気勢を挙げたものだ。そうして反キリスト教同盟は「キリスト教は科学の信仰を阻止し、資本主義の手先になって、他国を侵略する」ということが、その宣言の一つである。私は原始キリスト教の精神というものが決して今日の職業化した街頭のキリスト教とは思っていない。本当に原始キリスト教の精神を尚お伝え得るものならば、今日のキリスト教は斯くまでに堕落はしていないだろう。
三 早い話が原始キリスト教の精神を精神としたトルストイはどうであったか。あの熱烈な態度はどうであったか。彼の一生は続いて人間性のために苦しい戦であり、反抗であった。それから思えば、何処に現在のキリスト教徒にその熱烈さと、その厳粛さと反抗の精神が燃えているか。全世界を通じてキリスト教徒の数は夥しい。若しこれらの信者が、本当に正義の観念に燃え、真理のために尽していたなら、今度の欧洲戦争の如きも未然に防ぐことが出来たであろう。またロシアの饑饉に対し、オーストリー・ハンガリーの饑饉に対し、若しくは戦後のドイツに対して世界人類の取るべき手段は他に幾らもあったであろう。