今度の震災の災禍が、経済上にまた政治上に、影響し、従って複雑な関係を個人生活の上にも生じた点が少くない。その中に於て、文学業者の生活は、元来が、一面社会的であると共に、一面は、全く個人的のものであったと言うことができる。
今日、私は、独り芸術とは限らないが、まず芸術に、それが危機にあると言い得るのは、その作者と立場との関係が、極めてデリケートに置かれているからである。
要するに、作者の人格をおいてこの問題は他にないには違いない。けれど、その個人的であると社会的であるとは、一にその人の素質にもより、傾向にもあることであって、これによって、直に人格について批評されないものもあるが、また一面から言えばその立場を明かにすることによってます/\その作家の素質と、作品の価値を定むることにもなるのである。
芸術の目的が人間の理想の追求であり、そして、この芸術的感激が現実に対する不充、反抗に他ならんとしたら、そこに、妥協されない何ものかゞなくてはならぬ。
社会的であること、言い換えれば人生的であること、個人的であることゝは、その目的に対する信念の相違であり、芸術をいかに見るかという、その作家の態度であり更に進めて言えば私は、これを良心の如何に帰するのである。
全く社会的であって、個人的であらぬものはないと言える如く、いかなる個人的であっても、全く社会的の要素のふくまれていないものはないとも言えるだろう。それ程、文筆に従事する者は、常にその時の調子一つで、その何れにもあり得るのだ。世間に妥協するも究極は功利に終始するも、蓋し表現の上では、どんなことも書けると言うのである。
ある者は、世間を詐わり、また自己をも詐わるのだ。真剣であるならば、その態度に対して、第三者は、いさゝかの疑念をも挾むことができないだろう。即ち、作家の態度が第一義に即しているならば、――独り作家に限らない、すべての思想家がまた、――それは、粛殺な気にみち、理想を追求し、信念に燃えているのである。この種のものに対して、私は、芸術が人生的であり真に社会的意義を有することを否定できない。