書を愛して書を持たず
本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
蔵書を持たず潔癖な読書観を持つ著者が、書物と読者の関係、および良書の定義について綴る。現代の出版物が商業主義的で消耗品化している現状に触れつつ、個人の趣味や個性に基づいた読書のあり方を説く。また、雑誌の時代資料としての価値や、芸術品としての和本の魅力について考察し、書物の生命のはかなさと所有への執着のなさを語ることで、書物という存在との向き合い方を提示する。
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私は、蔵書というものを持ちませんが、新聞や、雑誌の広告に注意して、最新の出版でこれは読んで見たいなと思うものがあると求めるのがありますが、旧いものは、これは何々文庫というような廉価本で用を達しています。読んでしまえば、それでいゝようなものゝ、性来の潔癖もあって、汚れたのや、破れたのは、どうしても手に取る気がしません。少なくも、その書中から、滋養を摂るのに、それも稀にしかない本でゞもないかぎり、手垢がついていては、不快を禁ずることができないのであります。
書物でも、雑誌でも、私はできるだけ綺麗に取扱います。それなら、それ程、書物というものをありがたく思うのかというに、それは、自から別問題という気がします。
表題だけを見る時、「あゝこういう本が読みたかったのだ」と、興奮に近いものを感じながら、早速これを求めることがある。よく、こうした例は、屡々青年時代にあったことで、丸善の店頭などで、日頃名をきいている欧米の作家や、批判家の最新の著書を見出すと、これを読めば、明日からでも、自分の見識が変るような気がして、それでなくてさえ、何をか常に追うている時代であったら、金がなかった時には、本箱の本を売っても、新書を求めたものでした。
本の包みを抱いて帰る道すがら、また、その二三日というものは、強い味方が自分に付いているような気がしたが、たま/\友達のところへ遊びに行って、同じ本を机の上にながめた時、いまゝでの興奮はどこへやら消えてしまったのでした。
そればかりでありません。同じような本を誰彼の処で見出した時、「みんなが流行を追うているんだな」と、あまり自分達に個性がなさすぎるのが悟られて、反動的に、自己憎悪を感じたのでありました。