文化線の低下
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あらすじ(AIが作成しました)
野鼠の生命を尊重する詩を引用し、物質的な欲望の果てにある精神的空白と文化の衰退を論じる。物質の多寡ではなく、必要なものだけで足れりとする内面生活の重要性を説き、階級闘争や政治運動に盲従する風潮を批判する。真の幸福は精神的向上と克己奮闘に見出されると主張し、児童の心を縛る浅薄なイデオロギーや政治的教化を排し、自由な感性を養う文学の必要性を綴る。
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バーンズの詩の中に、野鼠について、うたったのがある。人間は、お前達が、畠のものを食べるといって、目の敵にするけれど、同じく地から産れたものでないか。その生命をつなぐために、沢山な麦束の中から、僅かな一穂をとったからとて、決して罪になるものでない。却って、私は、お前達を憐れむというような詩です。これは人間の独裁的な支配を憎んだのですが、人間の社会に於て、貧しい者と富める者と、あることは、ある程度まで、仕方のないことゝしても、全く食うに欠け、着るに物がないとしたら、それは、自然の理法を誤っていることであって、組織の罪に帰さなければならないでありましょう。
私が、いまこゝにいう貧富というのは、絹物を被るものと木綿物を被るものと、もしくは、高荘な建物に住む者と、粗末な小舎に住む者という程度の相違をいうのであったらそれによって、人間の幸福と不幸福とは判別されるものでないといわれるでありましょう。なぜなら、幸福の解釈は、各人の考え様如何にあるのであって、その人が、生活の上に、また哲学を有するか否かに原因するものであります。
かゝる場合は、決して、物質が、その人の幸福を決定する物指とはならない。野鼠に於けるがごとく、人間が着て食べて行くだけなら、たゞそれだけなら、幾何も要するものでない。むしろ、他の贅沢な欲望のためになやんでいるのです。そして、かゝるなやみは、また、物質によって決して、満たされるものでありません。欲望には、限りがないからです。