一
之は思出の記である。物語はこの本に差挟んだ幾つかの和紙に関してである。選んだものは何も諸国の紙々に行き渡つてゐるのではない。又之で昔の紙の歴史を語らうとするのでもない。たまたまゆかりあつてこの十年の間、私が与つてきた紙を想ひ起すためなのである。だから新しく生み得たものが主である。その多くには私の友達の敬ふべき技が加へられた。さうして是等のものは、先づ私が用ゐたいものであり又現に多くは用ゐられてきたものなのである。何れにも忘れ難い思い出がまとうから、こゝに皆集めて、いつでもお互に逢へるようにしたかつたのである。
もとよりこゝに掲げた凡ての紙が全く新しい創作なわけではない。どんな新しい試みも伝統を無視しては出来ない。吾々の為すべきこと、為し得ることは、古い伝統を新しい製作に活かすことである。こゝに納めたものゝ多くは、その意図のもとに作られて来たのである。私は是等のものを美しいと思ふ。少くとも和紙をいや美しくしようとする努力の跡は示されてゐよう。たとへ昔のものに劣るとも、いつかは優るための用意であると云へないであらうか。その或ものは既に新しい一歩を踏み出してゐると考へられる。私は是等のものによつて、直接仕事に携つてくれた多くの友達の功績を紀念したいのである。
之に添へて私は歴史に名のある幾つかの紙や、又地方が産んだ名もない生紙を選んだ。是等のものは私の予々の敬念のしるしともなるであらう。
二
和紙との濃い縁は、私に出した版本から始まる。最初に上梓したのは「朝鮮の美術」と題した本で、大正十一年のことであるから、もう二十年余りも前のことになる。続いて同年「陶磁器の美」を出し、「思ひ出」を出した。紙は何れも信州のものを用ゐた。朝鮮の紙には既に早くから親しむ折があつたが、今は和紙のことを語るのであるからそれを省こう。