銅像と老人
本文約3,600字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
田舎で暮らす老人が、長年の憧れであった東京見物へ旅立つ。上野公園で崇拝する西郷隆盛の銅像を目指すが、そこで迷子の子供が孫の正吉に瓜二つであることに目を奪われ、銅像を詳しく見ることも忘れその子を案じて歩き回る。帰郷後に銅像の詳細を知らないことを家族に咎められるが、孫への深い慈愛が語られることで、老人の純粋な心情と家族の温かな理解が物語を通して描き出される。
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田舎に住んでいる人々は、遠い都のことをいろいろに想像するのでした。そして、ぜひ一度いってみたいと、思わないものはないのであります。
「ああ私も、足・腰のじょうぶなうちに、東京見物をしてきたいものだが、なかなかそう思ってもいざ出かけるということは、できないものだ。」と、おじいさんは、いいました。
「おじいさん、また、秋になると忙しくなりますが、いまは、ちょうど暇のときですから、すこし暑いが、東京見物にいっておいでなさいませんか……。」と、せがれがいいました。
おじいさんは、うれしそうに笑いながら、
「なに、いまいかなくとも、また、そのうちに、いいおりがあるにちがいないから、そのときやってもらおう。」と、答えました。
若いものたちは、平常、おじいさんが、この年になるまで働いているのを、感謝していましたから、みんなが、口をそろえて、
「おじいさん、いっておいでなさいまし。」といいました。
「しかし、おじいさん、一人でゆかれますか。それが、心配です。東京は、電車や、自動車が通ったりしますから、それが心配です。」と、せがれが、いいました。
おじいさんは、まだ、きかぬ気の、がんこそうな体を揺すって、日に焼けた顔で、笑いながら、
「なに、かえって、一人というものは、いいものだ、気楽でな。まだ、年を取っても、手足はきくし、目も見えれば、耳もよく聞こえる。そんな、心配はいらない。私は、いっても、じきに帰ってくるから……。」といいました。
「じきに、お帰りなさらんでも、留守はだいじょうぶです。おじいさんがいられなくても、私たちだけで精を出せば、田や畑のことはできます。ゆっくりと、いろいろなところを見物して、おいでなさい。」
「おじいさん、ほんとうに、ごゆっくりしておいでなさいまし。」と、せがれの女房がいいました。
「おじいさん、僕もつれていっておくれよ。」と、そばで、この話を聞いていた、孫の正吉がいいました。
おじいさんは、正吉の頭をなでて、
「おまえなどは、大きくなれば、いくらでもいって見られる。私が東京見物にいったら、なにを土産に買ってきてやったらいいものかのう……。」