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TORENDIA

科学映画の一考察

本文約1,500字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

自然科学を対象とする科学映画を、動物や植物の生態を捉える「博物もの」と、物理や化学などを扱う「理化もの」に分類し、それぞれの特性と映像表現のあり方を論じる。顕微鏡撮影等を用いた「博物もの」の興趣を認める一方で、難解になりがちな「理化もの」における線画説明の限界を指摘する。現象の正確な理解を目的とするのではなく、実験室の雰囲気や科学的な空気感を伝えることこそ、映像メディアの重要な道であると提唱する。

中谷宇吉郎

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文化映画の中で特に自然科学を直接対象としたものを科学映画と呼ぶことにする。この科学映画は大別して大体二種類に分けられると思う。

その一つはいわゆる「博物もの」で、色々の動物や植物の生態をうつして見せるものであり、他の一つは「理化もの」とでもいうべきものである。

「博物もの」の中には「蛙の話」とか「蚊の一生」とか「春の呼声」とかいう風なものがある。これらは顕微鏡撮影とか、微速度撮影とかを用いて、普通の人間の眼では見られない現象までよく見せてくれるので、大変面白い。そんな特殊撮影をしなくても、普通では行けない場所とか、大変な辛抱をしなくては見られない生態とかを、いながら楽に見られるので、単に見ものとしても興趣がつきないものが多い。そして日本の科学映画では、この種のものにいわゆる珠玉篇が相当ある。

もっともこの種の映画は、既に外国、特に独逸で盛に作られ、その手法が出来上っているので、比較的楽に立派なものが出来るのであろう。

ところが、「理化もの」になると、話は大抵の場合大変むつかしくなる。元来、中学などでも、動物や植物の好きな学生はかなりあるが、数学とか物理や化学などの学科はとかく嫌われやすい。そういう題目をとりあげた映画を此処では「理化もの」と言っているのであるが、例えば『音楽の表情』とか『レントゲンと生命』のような場合になると、その説明に色々と迷っているようである。

映画で現象の説明をするとなると、どうしても線画が多くなるのは致し方ない。しかし線画の多いのは、どうもその映画全体を幼稚なものに見せる損があり、事実幼稚なものが多いのである。

それでこういう「理化もの」にも出来るだけ線画を少くするようにした方がよいのではないかと思う。もっとも線画を少くしたら、観客に分らすことが出来ないと思われるかもしれない。

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