籠の中で産まれた小鳥は、曾て広い世界を知らず、森の中や、林の中に、自分等の友達の住んでいることを知りませんから、外を恋しがらないかというに、そうでありません。やはり、少しの隙間があったら、窮屈な籠の中から逃け出して何処へか飛んで行こうと考えています。
この草木の少ない都会に産まれて、其処で大きくなった子供のことを考えると、私は何となく息詰まるような酷たらしさを感じます。私の死んだ男の子は、曾て一度も海を見たことがありませんでした。けれど、病院で死ぬ刹那に海に憧れていました。これを考えて見ても、単に境遇だけで、自然と生物の関係を狭めたり、曲げたりすることは容易に出来るものでありません。
何処に住む人間でも、たとえば奥山に住む人も、都会に住む人も、北の方に住む人も、南のはてに住む人も、人間としての苦しみは同じであり、欲望や、楽しみを楽しみとする心は同じであります。
この空間と、時間の観念に支配されず、貧富の差別によって、階級などの考えを全く頭に持たないものは子供であります。其処にはただ暗い夜と明るい昼と、悲しいことと楽しいことしかありません。……しかしこれだけでは、ほんとうの人間の生活でないと、なんで言うことが出来ましょう。
「死んだならば何処へ行く?」
「同じい人間と生まれて来て、どうしてある人は幸福であり、ある人は不幸であろう?」
「あの星の世界には、何が住んでいるか?」
「正直で、善良な者が苦しんで、不正直で、善くない者が、何うして何等の罰もなく楽に暮らしていられるのだろうか?」
是等は、単純な子供の見て怪しむところ、頭の中に疑いを抱くところであると共に、また、すべての人々の疑い、怪しむところであります。
子供は神様を信ずることが出来ます。自分の力ではどうすることも出来ないものは、神様がこれを罰して下さると信じています。
輪廻転生という事実も、子供の心にとっては何等の不思議もなければ、また不自然なことでもないようです。
けれど、輪廻転生などということはないことだと何うして言うことが出来ましょう。