〔『支那思想と日本』初版〕まえがき
本文約7,100字 ・ 読了時間 約15分
あらすじ(AIが作成しました)
昭和十三年発行の本書は、日本と支那の文化が歴史的に独自に発展してきた別個の存在であることを論じる。日本人が独自の精神と世界性を備えた現代文化を創造してきた一方、支那とは全く異なる民族であるという自覚の必要性を説く。過去の文物の流入はあったが、日本は支那文化の従属世界ではなく、現代の日本が支那を導く役割を果たすべきだと主張する。二つの歴史的背景を考察し、両者の違いを明確にする研究の重要性を訴える。
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この書の第一部は「日本に於ける支那思想移植史」と題して、岩波講座の『哲学』の昭和八年一月発行の部分に載せたもの、第二部は「文化史上に於ける東洋の特殊性」という題名の下に、同じ講座の『東洋思潮』のために、昭和十一年のはじめに書いたものである。今この二篇を合せて岩波新書の一冊とするに当り、説明の足りなかったところを補い、支那文字を少しでもへらす意味において文字のつかいかたをいくらか変えると共に、題目をもききやすいことばに改めた。わたくしは、近ごろ、支那文字をつかうことをできるだけ少くするように心がけているのであるが、前に書いたものをそうひどくなおすことは、全体を書きかえない限り、むつかしいので、このたびは、このくらいにしておくよりしかたがなかったのである。
この二篇は、いずれも今度の事変の前に書かれたものであるが、事変によって日本と支那との文化上の交渉が現実の問題として新によび起されて来た今日、再びそれを世に出すのは、必しも意味のないことではあるまいと思う。日本人が日本人みずからの文化と支那人のそれとに対し、また支那人が支那人みずからの文化と日本人のそれとに対して、正しい見解をもつことの必要が今日ほど切実に感ぜられる時はない。もしその見解にまちがったところがあり、そうしてそのまちがった見解に本づいて何らかのしごとが企てられるようなことがあるとしたら、そのなりゆきには恐るべきものがあろうと気づかわれるからである。