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TORENDIA

偶言

本文約5,600字 ・ 読了時間 約12分

あらすじ(AIが作成しました)

日本人の国民性や趣味は固定的なものではなく、常に新しい生命の表現として変化するべきものであると論じる。過去の日本趣味が淡泊や軽快であるとの評価に対し、平安朝や武家時代の華麗な装飾芸術を例に挙げ異議を唱える。芸術の発展には大衆的な土壌が不可欠であり、個人の才能を育むためにも裾野の広がりを期待する。また、芸術の基礎は一般の心理的事実に根ざすべきであると説き、独自の官能や論理に基づく現代の芸術動向に慎重な姿勢を示す。

津田左右吉

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🎧 偶言 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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一

日本人の趣味は淡泊である、清楚である、または軽快である、濃艶な、重くるしい、はでやかな、または宏大なものは好まない、だから、――というような話が今でもまだ或る程度まで真実らしく、いわれもし聞かれもしている。日本人の趣味が淡泊とか軽快とかいう言葉でいいあらわし得るものであることが、よし過去において、間違のない事実であったにせよ、「だから」という接続詞をそのあとにくっつけて、現在、または未来もそうでなくてはならぬといおうとするのは、まるで無意味である。個人にとっても、民族にとっても、趣味はその人、その民族の内的生命の発露である。その人、その民族が真に生きている人であり民族であるならば、刻々に新しい生命を自ら造ってゆく。その生命の表現せられた趣味もまた日々に新しくなってゆかねばならぬ。勿論、一方には遺伝とか、または自然界なり社会的事情なりの環境とかいう制約があって、急激に突飛な変動をさせないようにする傾もあるが、一方には絶えず新しい生命を造り出そうとする強い内部の力が活溌に動いて、そういう制約を折伏してゆく。それができないものは個人としても民族としても死んだものである。日本人は生きている。生きている日本人の国民性も民族的趣味も決して固定したものではない。だから、過去の趣味は歴史的事実として真実であっても、将来の規範とせらるべきものではない。日本人が淡泊で、清楚で、軽快な趣味をこれから後も持続しなければならぬという理由はどこにもない。今さららしくいうまでもないことであるが、世間にはまだ、凝固した国民性というものがあり、またなくてはならぬように思っている人もあるから一言して置くのである。

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