日本上代史の研究に関する二、三の傾向について
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あらすじ(AIが作成しました)
日本の国史における上代史研究の現状と、学問的な方法論の欠如について綴る論考である。民俗学や西洋の学説を安易に適用する風潮を批判し、歴史的変化を軽視することの危険性を指摘する。文献資料を誠実に検討し、民族生活の特異性を具体的に明らかにするという史学の基本に立ち返る必要性を説き、史学者が果たすべき役割を論じる。
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近ごろ、いろいろな意味で世間の注意が国史の上に向けられ、上代史についても種々の方面において種々の考察が行われている。種々の立場からの種々の見解が提出せられることは、全体として学問の進歩を助けるものであるのみならず、ともすれば凝滞の弊に陥り易い学界を刺戟し、あるいはそれに新問題を与え、新しい観点からの研究を誘発する意味においても、喜ぶべきである。そうしてまた実際、それらの考察には傾聴すべきものが少なくない。しかし一方からいうと、そういう見解のうちには、往々、確かな方法と論理とを欠いている思いつきや感じから成立つもの、或る一面のみを見てそれによって全体を解釈せんとするもの、または特殊の主張なり学説なりを強いて我が国の上代にあてはめようとするものなど、学問的の研究としてはかなりに不用意なものがあるのではなかろうか。思いつきや感じも学問の研究に大切であり、自己の目に映ずる一面のみに過大の価値を置くのも、免れ難き人情の常ではあるが、学者の用意としては、方法論的省察と、論理的の整理と、並に視野の広いまた多方面からの観察とが、要求せられるであろう。特殊の主張を以て臨むものに至っては、そういう主張が如何にして作り上げられたかを先ず検討してかからねばならぬのではあるまいか。ここに述べようとすることは、二、三のこういう見解に対する余の感想である。というよりも、学界の風潮に対する余の観察とでもいった方が妥当である。余は本来、他人の学説を批評するを好まず、学問上の論争すらも寧ろ避けているので、これもまた或る学者の或る学説に対する批評というのではなく、学者に対する論難では猶さらない。