芸術と国民性
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あらすじ(AIが作成しました)
芸術家が創作において国民性を意識すべきかという問いに対し、それは創作の本質に反すると説く。作家は自身の内面的な表現欲求にのみ集中すべきであり、作品に表れる国民的特色は事後の批評家の領分に過ぎない。また、固定観念としての国民性を持ち出すことは芸術活動を誤らせると論じ、真摯な自己表現こそが結果として国民性の変容と創造に繋がることを主張する。芸術と国民性の関係性について、その心理と歴史的側面の両面から検討を加える一編である。
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芸術史家、または芸術の批評家が或る個人の作品を観てそこにその作家の属している国民全体の趣味なりまたは物の見かたなり現わし方なりの或る傾向が見えるというのは尤な話である。しかし芸術家が製作をするに当って「おれは日本人だから日本人の趣味を現わすのだ」というようなことを意識してかかるものがあるならば、それは飛んでもない見当ちがいの話である。芸術家が製作するに臨んでは渾身ただ燃ゆるが如き製作欲があるばかりである。はちきれんばかりに充実している或るものが内にあって、ただそれに形を与えて外に現わそうとすることに向ってのみ全意識が集中せられねばならぬ。出来上がった作品をとおして外部から見ればそこに日本人らしい何物かがあるかも知れぬ。けれどもそれは作家の関知するところではない。作家はただ自己の現わそうとするところを現わすのみである。あるいはまた作家がその国の古芸術を研究してその間から何らかの暗示を得、または一種のインスピレエションを得ることもあろう。そうしてその作家の作品にはおのずからその国の古代芸術の面影が現われ、あるいは一道の霊光が両者の間に相感通するというようなこともあろう。しかし、そんな詮索は批評家のすることである。作家はただ自己の求めて未だ得ざるところ、現わさんとして未だ現わし得ざるところを古芸術において暗示せられたまでである。言を換えていうと自分と古芸術とが偶々何処かにおいて一つの契合点を得たのである。あるいは古芸術において自分の反映を認めたのである。そうしてこの場合においても一度び製作に臨んではその古芸術は全然意識の外に消えてしまわねばならぬ。