TRENDIA CLASSIC

らんの花

小川未明

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(この話をした人は、べつに文章や、歌を作らないが、詩人でありました。)

支那人の出している小さい料理店へ、私は、たびたびいきました。そこの料理がうまかったためばかりでありません。また五目そばの量が多かったからでもありません。じつは、出してくれる支那茶の味が忘れられなかったからです。支那茶の味がいいってどんなによかったろうか。まず、その店で飲むよりほかに、私は、それと同じい茶を手に入れることができなかったのです。

その味は、ちょっと言葉には現されないのですが、味というよりも香いがよかったのです。なんというか、まだ、江南の春を知らないけれど、この茶をすするときに、夢のような風景を恍惚として想像するのでありました。

そして、頭の上の額には、支那の美人の絵が入っていましたが、美しい、なよやかな姿が、茶をすする瞬間には、さながらものをいうように、真紅な唇の動くのを覚えました。

「君、このお茶の中には、香いのする花が入っているようだが。」と、ある日、私は、この店の主人に向かって、ききました。

腰が低くて、愛想がよく、ここへ住むまでには、いろいろの経験を有したであろうと思われる主人は、笑って、

「このお茶には、蘭亭の白いらんの花が入っていますよ。」と、答えました。

「ははあ、らんの花が入っている。なるほど、それで、こんなに、やさしい、いい薫りがするのかな。」と、らんの花のもつ、不思議な香気に、まったく魂を酔わされたように感じたのでした。

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