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TORENDIA

吉日

本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分

あらすじ(AIが作成しました)

世を隔絶して静かに暮らす語り手は、自身の生を悪日、死を吉日と捉える人生観を抱いている。訪問客や世間の出産祝いの報せに煩わされ、日常生活に安らぎを求める中で、彼は波打ち際を散歩し心身を癒やす平穏な一日を吉日と定義する。家事を手伝う知能の低い若者・松どんが日記に書き留める不可解な日々の記録を傍らに、語り手は他人のことを思考し自身の悩みから解放される静かな日々に、ささやかな幸福と安らぎを感じながら過ごす。

正宗白鳥

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🎧 吉日 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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「自分に關しては、たゞ一つだけ確信してゐることがある。……疾かれ遲かれ、ある吉日に自分は死ぬるのだ。」

「私は、それ以上の確信を有つてゐる。私はある惡日に生れたのだ。」

年少の頃、『浴泉記』といふロシア小説の飜譯を讀んだ時に、私はかういふ會話のやり取りに心を打たれたことがあつた。(後年英譯で讀み直すと、「美しい朝」と「いやな晩」といふ文句が、吉日惡日を言葉として對照されてあつた。)

それ以來、わが生れた日が惡日で、わが死ぬる日が吉日だといふやうな感じがをり/\胸に起こつてゐた。

この頃は、さういふひねくれた人生觀の發露で「吉日」「惡日」を定めることはないのだが、世を隔離してゐるやうな昨今の私の生活においても、日の吉凶が、入り亂れて影をうつすやうに思はれることが多い。沈滯した水のやうな靜かな生活では、なほ更さういふことが感ぜられ易いのかも知れない。

たまに表の格子戸が開いて、訪問客の來たらしい氣配がすると、私は、靜かな水に小石でも投げられたやうな波動を胸に感じるのであつた。靜坐の行が亂される氣がするのを例としてゐた。訪問客があつたのを、吉日のうちに分類したことは滅多になかつた。文學青年にねち/\話し込まれる時の惱ましさはいふまでもなく、長い尻の雜誌記者に、何がなしに應對さゝれるのも心の疲れを來す原因となるのであつた。私のところへでもをり/\電報が舞ひ込むのだが、故郷には老いて病める兩親がまだ住んでゐるのだから、原稿の催促でも電報を打たれるのは、私には有難くないのであつた。宛名が私の作者名になつてゐるのを見て、まづ安心してひらくのであつた。

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