TRENDIA CLASSIC

吉日

正宗白鳥

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「自分に關しては、たゞ一つだけ確信してゐることがある。……疾かれ遲かれ、ある吉日に自分は死ぬるのだ。」

「私は、それ以上の確信を有つてゐる。私はある惡日に生れたのだ。」

年少の頃、『浴泉記』といふロシア小説の飜譯を讀んだ時に、私はかういふ會話のやり取りに心を打たれたことがあつた。(後年英譯で讀み直すと、「美しい朝」と「いやな晩」といふ文句が、吉日惡日を言葉として對照されてあつた。)

それ以來、わが生れた日が惡日で、わが死ぬる日が吉日だといふやうな感じがをり/\胸に起こつてゐた。

この頃は、さういふひねくれた人生觀の發露で「吉日」「惡日」を定めることはないのだが、世を隔離してゐるやうな昨今の私の生活においても、日の吉凶が、入り亂れて影をうつすやうに思はれることが多い。沈滯した水のやうな靜かな生活では、なほ更さういふことが感ぜられ易いのかも知れない。

たまに表の格子戸が開いて、訪問客の來たらしい氣配がすると、私は、靜かな水に小石でも投げられたやうな波動を胸に感じるのであつた。靜坐の行が亂される氣がするのを例としてゐた。訪問客があつたのを、吉日のうちに分類したことは滅多になかつた。文學青年にねち/\話し込まれる時の惱ましさはいふまでもなく、長い尻の雜誌記者に、何がなしに應對さゝれるのも心の疲れを來す原因となるのであつた。私のところへでもをり/\電報が舞ひ込むのだが、故郷には老いて病める兩親がまだ住んでゐるのだから、原稿の催促でも電報を打たれるのは、私には有難くないのであつた。宛名が私の作者名になつてゐるのを見て、まづ安心してひらくのであつた。

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