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TORENDIA

入江のほとり

本文約25,800字 ・ 読了時間 約52分

あらすじ(AIが作成しました)

奈良から帰省した長兄の栄一を筆頭に、賑やかな家族が暮らす入江のほとりの家で、独学で英語を学び続ける辰男は、周囲から変人扱いされ孤立している。家族が都会の生活や電灯の話で盛り上がる中、辰男はただ机に向かい英和辞書を繰る日々を送る。再訪した兄からの進言にも心を閉ざしたまま、辰男は妹が傍らで本をめくる音を聞きながら、静かに自身の世界に没頭して夜を過す。

正宗白鳥

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一

長兄の栄一が奈良から出した絵葉書は三人の弟と二人の妹の手から手へ渡った。が、勝代のほかには誰も興を寄せて見る者はなかった。

「どこへ行っても枯野で寂しい。二三日大阪で遊んで、十日ごろに帰省するつもりだ」と筆でぞんざいに書いてある文字を、鉄縁の近眼鏡を掛けた勝代は、目を凝らして、判じ読みしながら、

「十日といえば明後日だ。良さんはもう一日二日延して、栄さんに会うてから学校へ行くとええのに」

「会ったって何にもならんさ」良吉はそっけなく言って、「今時分は奈良も寒くってだめだろうな。わしが行った時は暑くって弱ったが、今度は花盛りに一度大和巡りをしたいな。初瀬[#ルビの「はせ」は底本では「はつせ」]から多武の峰へ廻って、それから山越しで吉野へ出て、高野山へも登ってみたいよ。足の丈夫なうちは歩けるだけ方々歩いとかなきゃ損だ」

「勝はどこも見物などしとうない。東京へ行っても寄宿舎の内にじっとしていて、休日にも外へは出まいと思うとるの」勝代はわざと哀れを籠めた声音でこう言って、さっきから一言も口を利かないで、炬燵に頬杖突いている辰男に向って、「辰さんは今年の暑中休暇にでも遠方へ旅行してきなさいな。家の者は男は皆な東京や大阪や、名所見物をしとるし、温泉へも行ったりしとるのに、辰さんばかりはちっとも旅行しとらんのじゃから、気の毒に思われる。自分では東京へ行ってみたいとも思わんのかな」

「行けりゃ行ってもいいけど……」辰男は低い錆びた声で不明瞭な返事をして、口端を舐めずった。

「わしが東京にいる間に来りゃよかったのに。下宿屋に泊ってて電車で見物すりゃいくらも金は入らないんだから」

「勝と辰さんは電車を見たことがないのじゃから、兄弟じゅうで一番時代遅れの田舎者だ。勝は岡山まで汽車に乗ってさえ頭痛がするのに、東京まで何百里も乗ったら卒倒するかもしれんから、心配でならんがな。その代り東京へ行ったら、三年でも四年でも家へは戻らんつもりだ」

「わしの春休みの間に行くようにすりゃ、連れてってやらあ。そうしたら帰りに大和巡りもできるしちょうど都合がいいんだよ」

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