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TORENDIA

學問の獨立

本文約970字 ・ 読了時間 約2分

あらすじ(AIが作成しました)

明治三十年代の早稲田における標語「学問の独立」が、当初は西洋の学問を日本語で教授するという意味で用いられていた実態を綴る。翻訳や受け売りを学問の独立と称した当時の矛盾や、西洋追随の弊風を脱して独創的な学問を樹立すべきという主張を考察する。さらに、かつて西洋の学説に傾倒していた文学者の姿勢を引き合いに出しながら、現代における学問のあり方や、日本独自の独創的な研究への期待を論じる。

正宗白鳥

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🎧 學問の獨立 / 朗読音声: VOICEVOX:もち子さん

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明治三十年代だが、私が早稻田に學んでゐた時分、「學問の獨立」がこの學園の標語であるやうに、折に觸れて學校經營者から聞かされてゐた。慶應義塾の「獨立自尊」に匹敵する立派な言葉であるが、學問の獨立といふ意味は、英語とかドイツ語とか、外國の言語に頼らないで、日本の言語文字で諸般の學問を爲遂げられることであつたらしい。つまり法律、政治、經濟などの學問を日本譯で學ぶといふことで、何も西洋のそれ等の學問を無視して、日本獨特のそれ等の學問を樹立することではなかつたやうだ。英語政治科の外に邦語政治科があつたが、後者は前者よりも一段格が下つてゐた。文科の方でも、邦語英文學科といふやうなものがあつたら、我々もその方が面倒でなくてよかつたのであるが、學問の獨立もそこまで徹底されなかつた。

その時代には、教師が舶來の學問を日本語に譯して説明するだけの講義を聽いても、我々はそれを學問の獨立的講義であると信じて、少しも疑問を起さなかつた。學問と云ふと西洋のものを移植することゝ、事が極つてゐたのだ。

ところが、近年は「學問の獨立」の意味が著しく異つて來た。學問の研究には他の何ものからも干渉されず、束縛されないといふ毅然たる態度を意味することにもなるであらうが、それよりも現在の風潮から云つて、西洋の學問追隨の弊風を脱して日本的に獨立すべしといふ意味に取つた方がいゝかも知れない。元來、飜譯や受け賣りの講義を「學問の獨立」と稱したのは合點の行かぬ次第なのだ。

「あらくれ」といふ小雜誌の新年號所載の或る感想録を讀むと、歐洲大戰爭の時、ドイツなどから書物が來なくなつたので、桑木博士などが「困つたものだ。」といふやうなことを一寸いふと、岩野泡鳴が、「そんな風にいつも西洋にばかり頼つてゐるからいけないんだ。なぜもつと獨創的の學問を立てないのだ。」と、小つぴどくやつゝけたことが記されてゐた。勇敢なる泡鳴はすべてその調子で、獨創を念としてゐたのであつたが、その泡鳴だつて、アーサー・シモンズの『象徴派の運動』といふ西洋の本を虎の卷にして、ポーだの、ボードレールだの、ヴエルレーヌだのにかぶれてゐたのだから面白い。

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