時節外れの寒い風が吹いた。五人もの子供を抱へてゐながらビクともしない働きものゝおたまは、薄明りが差すと、誰れもまだ起きない前に寢床を離れて、手早く衣服を着替へて、藁草履を突掛けて、裏木戸から水汲みに出掛けた。風呂桶へ四五荷も汲んで、使ひ水をも大きな水瓶に滿すと、肥つた身體にべつたり汗の出るほどに温かくなつた。
共同井戸の側には、次第に人が集つた。
「かう出し拔け寒くなつちややり切れないよ。」
「冬の仕度はなんにも出來てやしないのに、弱つちまふよ。……おたまさんなぞ、手まはしがいゝから、慌てることはないだらうけれど、こちとらは、これから足掻き廻るだけよ。」
「お前んとこは、おかめちやんを奉公に出したから餘程氣輕になつたぢやねえか。乳呑み子はなし、お前んとこは、これから樂が出來るばつかりだよ。」
「さうだとも。おもとさんは言ひ分なしさ。おらのとこも、おさとを御別莊へ上げたいと思つてるんだけど、同じ奉公させるのなら、東京へ出した方が當人の爲になりやしないかと思つて迷つてるだ。」
「さう云へば、濱田のよつちやんは、日本橋の大きな問屋の息子さんに所望されて、お嫁入りすることに話が極つたつてことだよ。」
「よつちやんが。本當かい。」
「彼處ぢやまだ祕密にしてるやうだけど、おら、昨日確かなところから聞き込んだのさ。よつちやんがその息子さんに見染められたといふことだが、女は容色のいゝのが何よりだ。大した仕度金が出るつてことだよ。」
およねと云ふ容色よしが、大磯に別莊を有つてゐる松本男爵の東京の本宅に小間使奉公をしてゐるうち、男爵家に出入りの商人に見染められて、結婚を申し込まれたといふ噂は、その日の井戸端での第一の話題となつたので、おたまの耳にも刻み込まれた。それで、彼女は、水を汲んでしまふと、姑や夫に向つて、まづ第一にその噂を傳へた。