昔の西片町の人
本文約5,400字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
若き作家である私は、西片町に住む中田博士のもとを足繁く訪ね、欧州文学の研究法などを教わる。博学な博士は芸術を重んじ、自然主義が跋扈する当時の文壇に違和感を抱いていた。私は新聞記者として博士を批判する記事を連載するが、訪問を拒まれることはない。二人は文学について対話を重ねる。のちに博士が京都大学へ転任し、やがて逝去するまでを回想し、博士の人間味や、文学観の対立を通じて感じた若き日の複雑な交流と自らの作家としての歩みを綴る。
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「日本の文壇は今全く不良少年の手に落ちました。何等の教養も何等の傳統もない不良少年の手に落ちました。」と、博士はその華やかであつた青年時代の、唯一の名殘りであるやうな、美しい眸を輝かしながら、嘆聲を洩らすのを聞く時には、雄吉は不良少年の手に落ちた文壇を悲しむよりも、博士自身に對して、妙な寂しさを感ぜずにはゐられなかつた。……
覇氣に富んだ人氣作家K氏の小説集を讀んでゐるうち、「葬式に行かぬ譯」と題された一篇の中の、かういふ記事のあるところまで來ると、私は思はず、獨り笑ひを洩らした。そして、書物から目を離して、作中の博士について考へた。
「日本の文壇は、今全く不良少年の手に落ちました。」
中田博士が、今から十餘年前に、京都大學の教室で、かう云つて歎息したといふことは私をして、十年前に若くして世を去つた博士の面目を、印象鮮明に思ひ浮べさせるよすがとなるのである。
成るほど博士の云ひさうな言葉である。他の老大家などが云つたのなら、私は何の興味もなく聞き流すのであるが、中田博士が、京都の文科大學の教室で、學生に向つてさう云つたのは、私には甚だ面白いのである。
その頃の文壇には自然主義がまだ跋扈してゐた。詩が輕んぜられてゐた。田舍臭い蕪雜な文章や卑俗な思想が、新文學の名の下に臆面もなく世に現れてゐた。博士の胸に抱かれてゐた至醇の藝術とは相容れざること氷と炭との如くであつた。
「天下の文章、不良少年の手に落つ。」私は、中田博士の假聲を使つて、二三度呟いた。博士の心にあつた不良少年團の名簿には私の名前も黒い字で記されてゐたに違ひない。