心の故郷
本文約2,400字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
東京工業大学の学生によるカミュの戯曲『誤解』の上演を観劇した筆者は、舞台上の強烈な人間心理に異様な魅力を覚える。その後、筆者は四国の徳島を訪れ、かつてこの地で孤独に晩年を送ったポルトガルの文学者モラエスの墓を尋ねる。本作は、劇中の登場人物が夢見た故郷と、自らの居場所を探し求めながら異郷で一生を終えたモラエスの姿を重ね合わせ、現実の故郷を喪失した人間の心理的な漂泊と憧憬を綴る。
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暮れに、私の家の近所を散歩してゐると、東京工業大學の門前でカミュの『誤解』上演と記されたお粗末な紙看板が目にとまつた。演劇部と記されてゐるので、この學校にでも芝居なんかやる學生があるのかと不思議に思つた。私は學校芝居は殆んど見たことはないし、見ようと思つたこともなかつたのだが、カミュの戯曲『誤解』は、なにかの雜誌に出てゐた飜譯で讀んで、ひどく面白く感じたことがあつたので、その上演をちよつとでものぞいて見ようかと思ひついた。それで、開演時刻を見はからつて、まだ一度も入つたことのない校内へ入つて、演劇場へ入ると、豫想通り、見物は幾人も來てゐなかつた。幕開き間際に、この學校の學生と覺しき學生が、興もなげに入つて來て席を埋めるだけであつた。
幕が開いても、演劇光景は出現しなかつた。役者の聲が低くつて、私の耳にはよく聞き取れないので、舞臺近くまで進んで、全心をそちらへ注いで、演技の足らざるところを、自分で補ふ氣持で見てゐると、多少のもどかしさ、齒がゆさを感じながら、しまひまで面白く見續けた。見終つて、心に一種の刺戟を感じた。舞臺監督もなかつたらしく、たゞこの戯曲の飜譯語を、日常の言葉通りに口に出してゐるだけのやうで、これは演劇以前であつて、この程度なら、だれでもやれさうである。もつと強い聲を出したらいゝではないか、もつと活溌に動いたらいゝではないかと思はれたが、この強烈な人間の動搖を、つゝましやかに、ナイーヴにいつてゐるところに、實世界の人間を、私の心に描かせるゆゑんともなつたのである。