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TORENDIA

私の見た大学

本文約1,800字 ・ 読了時間 約4分

あらすじ(AIが作成しました)

大学に関係した経歴を持つ著者が、自身の経験と視点から大学のあり方やアカデミズムとジャーナリズムの関係について論じる。大学が持つ文化技術の素養を習得させる機能には価値を認める一方で、今日の大学が真の史的認識や思想を欠いた盲目的な技術者を量産している現状を批判する。自身が体現するアカデミシャンかつジャーナリストという立場から、大学と社会の機能的不全と対立を分析し、その意義と限界を綴る。

戸坂潤

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私小説というものがあって、その評判は好悪相半ばしているようだが、それは私という自分であるものにしか判らない小説、自分だけが面白がるための小説、を意味する心算ではないらしい。それで私論というのも、自分にしか通用しない論文という意味ではあるまい。もっとも私語というものもあって之は自分だけに聞えるもので、他人に聞えては悪いものであるが、印刷にする私論が、他人の眼に触れて悪いという筈はないから、そういう意味では恐らくあるまい。さてそこで大学私論とは、私大学論とでもいうことであろう。つまり私という独特な条件を有った人間が、大学に対してどんな気持を有っているかを、論じようというのだ。

私は学生や教師として官私にわたって約四つ程の大学に関係した。併し学生としても優良でなかったし教師としても勢力ある位置にはなかったから、結局責任ある大学関係者であったとは言えない。講演や大学出版物への執筆、学生との学外における接触が、残りの私の対大学関係である。私の大学についての知識は之につきている。私が大学に対して持つ尊敬も軽蔑もこの材料の外へは出ない。

然るに私は往々アカデミシャンを以て目されているのではないかと考える。アカデミシャンとは他ならぬ大学味に富んだ人間のことである。今では大学に対して経済的な利害をほとんど全く有たぬ私であり、仕事の上でもあまり大学の影響を蒙っていないと思う私であるが、夫がなおアカデミシャンの性質を失わないとすると、大学の力は実に大きいと言わねばならぬ。

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