友情に関係あるエッセイ
本文約8,200字 ・ 読了時間 約17分
あらすじ(AIが作成しました)
世間から隔離されていた期間を経て久しぶりに友人たちと再会した著者が、社会の変化について自身の考えを綴る。物事は変るのが当然であり、表面的な変化に驚く必要はないと論じる一方で、旧友たちの一斉就職や著述活動、さらには親友の結婚といった身近な変化に強い関心を示す。著者はこれらの事象を単なる個人的な出来事としてだけでなく、自身の友情関係や社会の空気が変容する兆しとして捉え、友人たちへ心からの祝辞を述べる。
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二年間あまり、世間から隔離されている間に、世間は全く変って了った。久し振りに会う友人達は、どうだ世の中は変ったろう、と得意そうに私をながめる。私は、いや思ったほど変ってはいない、と答えることにしているが、私の狼狽と敗北の色はさすがに隠す由もないと見えて、友人達はあまり私の言葉を信用しない様子だ。
尤も友人達の云うのは、私の思惑にも拘らず、案外無邪気な内容のものかも知れない。例えば菓子屋の前を通ってもガラス棚がまる空きであったり、米屋が米を家まで配達して呉れなくなったり、丸善が古本屋のようになっていたり、それからバットが大阪の粟オコシ然となったり、商人や交通機関の労務者が著しく権威ある者の如く語ったり、お客は一列に行儀よく並んで車を待っていたり、タクシーに乗りたくても都合がつかなかったり、その他その他数限りない新現象を、どうだ驚いたろう、と私に見せびらかす程度に過ぎないのかも知れない。私は田舎者が都会の親戚を訪ねた時のように待遇される、という程度かも知れない。
併しその程度の変化のことなら、私は別に驚きはしないのだ。私の知っていた旧社会から見れば変ったことは大いに変ったのではあるが、元来物を変らないように決めてかかっているのが認識の欠乏で、ものは変るのが当然であり、ことに社会というものが渓谷から平野へ出る川の水のように瀬になったり潭になったりして流れて行く生き物だというのは、現代人の常識であった筈だから、この頃急に変ったからと云って驚ろく方が間が抜けているのである。私が思ったほど変ってはいないというのも、その位いの変化には驚かないという意味で、あながち私の敗け惜しみでないと云って云えなくはない。