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TORENDIA

文芸評論の方法について

本文約7,900字 ・ 読了時間 約16分

あらすじ(AIが作成しました)

日本の文芸評論界における作家と専門評論家の現状を分析し、文芸評論の方法について論じる。評論とは単なる個人的な印象や放言に留まらず、文芸学的なシステムに基づき、背後にある時代と社会を唯物論的に解明する科学的作業であると説く。既存の印象批評を克服し、理論的な裏付けを持つ本来の文芸評論を確立する必要性を提示する論考である。

戸坂潤

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今日の日本の文芸批評の姿には、見渡したところ二群のものを区別出来るようである。一つは作家による文芸批評であり、も一つは評論家による文芸批評である。尤もこう云っただけですでに、多分の註釈が必要となるのはまことに遺憾であるが、一体評論家は一種の作家でないかどうか。最近日本では創作的な評論と云ったようなものも推賞されている。評論が創作でないというのが元々変な云い方だが、とに角小説や戯曲や詩というジャンルを創作と呼び、この創作をやる人間を作家と呼ぶのが習慣なわけだが、創作と評論、作家と評論家、はそう簡単に対立させられないという点が吾々の話を初めからお終いまでつき纏うのである。

その創作的な評論というのが、特に保田与重郎の夫のような詠嘆文を意味するなら、簡単に無視していい問題だが、文芸評論(一般に評論)も亦文芸創作の一つのジャンルだという意味だとすると、容易ならぬ問題だ。だがこの問題はこの話の終る時初めて解かれるべきものとしよう。さし当り作家と評論家との区別を便宜的に判ったものとして、さて、作家自身が評論を書く場合と、専門の評論家が評論を書く場合とでは、大へん様子が違っていることにまず気がつく。

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