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TORENDIA

心理的と個性的

本文約6,200字 ・ 読了時間 約13分

あらすじ(AIが作成しました)

文学志望の青年Aと個性を持つ青年Bの交友を通じ、心理的な洞察に偏り論理性を欠く人間関係の弊害を論じる。文学的素養に乏しいAは、相手の人間臭さを嫌い、表面的な対人関係能力を過度に発達させる一方、Bとの対話において常に誤解や不毛な不平を生じさせる。本書はこうした心理派の振る舞いが論理的な個性の発展を阻害するとし、議論の内容そのものを軽視しがちな日本社会の風潮に批判的な眼差しを向ける。

中原中也

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🎧 心理的と個性的 / 朗読音声: VOICEVOX:九州そら

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裕福な家庭の、特に才能があるといふ程でもない青年が、「文学でもやつてみるか」といつた調子で、文学志望を抱いたとする。四年五年と経つても、いつかう何も書けさうもない。「書いてゐる奴等はいつたい、いかなれば書けるのであらう?」とやがてだんだん愚痴になる。おのづと「書いてゐる奴等」のアラを探しだす。「アラだらけだ!」と彼は思ふ、「あんなにアラがあるから、あのアラが契機となつて、却て奴等は仕事が出来るのであらう……」

ところでさういふ場合に彼のアラと云つてゐるものは、概ね処世的要領の稚拙の如きを指してゐるのである。つまり、彼は事文学に関して考へ乍ら、而も文学的アラを云つてゐるわけではない。かう云つてしまふと話は簡単だが、当人としては随分無理もないことである。何しろ文学的素質がないのだ、そこでアラを探すにも彼らしくアラを探すことになる。

(茲で一寸断つて置くが、ホンの少しの事が分ると、分つたことが当人にとつて余りに珍しいので却つて書けるといつたあの生々しい文学青年をも「書いてゐる奴」の中に入れて話してゐるのではない。実際文壇に出ることが容易になつた此の頃は、さういつた文学青年も少くないことで、一知半解の故に却て元気がいいといつた風の元気が、本当の元気と間違へられる風景は、毎日のやうに見受けられることである)。

扨、件の裕福な青年は、漸く、文学そのものではないかも知れぬが、文学の話をする奴は嫌ひになつてゆく。仮りに相手は文学的個性があるので、自然、文学の話をするやうになるのである場合も、その相手が嫌になる。否、相手に個性があればある程嫌になる。勿論、当人としては相手の個性を嫌つてゐるつもりはない、相手の話しぶりだの手ぶりだの、要するに相手の人間臭を嫌つてゐるつもりなのだが、そんならその話の特に個性的な部分だけでも聴くかといふと強ちさうでもない。

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