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TORENDIA

苗代川の黒物

本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分

あらすじ(AIが作成しました)

苗代川で焼かれる黒物は、薩摩焼の中でも古くから続く庶民の雑器である。白物が雅器として発展し名を馳せる一方で、黒物は常に低い扱いを受けてきた。しかし、かつての高麗人による伝統と技術を継承し、自然の力に委ねて生み出されるその器は、作為を感じさせない平易で健実な美しさを持つ。本作は、個人の知識や作為を超え、作り手の素朴な生活と自然との調和から生まれる黒物の価値を論じ、現代において失われつつある美の根源を提示する。

柳宗悦

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🎧 苗代川の黒物 / 朗読音声: VOICEVOX:玄野武宏

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一

何の因縁によるのか、ここでも上手の白物と下手の黒物とが対峙する。対峙するというより、むしろ白物のみが存在するという方がいいかもしれぬ。黒物の方は振り向く者がない。薩摩焼といえば、今は白陶器に定まっている。店に並べて窯の名を誇るのも、遠く海外に出て名を博したのも錦襴手のその白物である。近い鹿児島の街ですら黒物はほんのわずかよりしか扱わない。白釉の方は膚が柔かで色温く、誰もの嗜好に投じると見える。黒ではすまされず、白を追う心がここまで来たのだといえる。今ではそれが薩摩焼のほとんど凡てである。

だが薩摩焼はこれだけではない。今も七個の窯を擁して黒物が焼ける。ただ位が低くいずれも並の雑器であるから、これで苗代川を語る者はない。だがこの方が実は歴史が古い。今は三百余年の昔、文禄の役後、一と群の鮮人たちがつれられて来て、窯をこの苗代川に卜した。累代の墓碑が南に面して日光を浴みながら今も建っているから、ここが始めから定住の地だった事が分る。その最初の頃作ったものを「古薩摩」と呼んで珍重する。得難いその「古薩摩」は実はほとんど皆黒釉である。

歴史を振り向けば、窯は三段の経過を踏んだと思える。第一は今いった「古薩摩」である。これを「黒薩摩」と呼んでもいい。庶民の用いる雑器が主要なものだったと思える。文禄慶長の頃より降る事凡そ三十年、寛永の頃新に作り出されたのが白釉の陶器である。茶道の需めで、茶礼の器物がその重要な品目であった。人々はこの頃のものを「白薩摩」と呼ぶ。だが更に降って寛政に至り、その白陶は錦襴の絵附を受け、「絵薩摩」へと進んだ。綵紋のあるこの雅器は、広く声価を得て今日に及んでいる。それ故苗代川には現に二つの異る陶器が対峙する。一方は雑器として永く続く黒物である。一方は雅器として発達した白物である。

二

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