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TORENDIA

流浪の追憶

本文約4,100字 ・ 読了時間 約9分

あらすじ(AIが作成しました)

定まらぬ旅や食客生活を転々とする作者は、精神の放浪と呼ぶべき苦悩を抱えている。小田原や信州、八ヶ岳の本沢温泉を巡る旅でも、酒に酔い、人との交流や寂寥感の中で自意識の葛藤を深める。故郷の新潟では幼馴染の女性と過ごす中で死への偏執に捉われるが、結局は逃げるように東京へ戻る。地理的な場所を問わず自らの精神から逃避しようとする作者が、旅先での感傷や恋愛的な迷い、そして根源的な生きる衝動に揺れ動く姿を綴る。

坂口安吾

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🎧 流浪の追憶 / 朗読音声: VOICEVOX:雨晴はう

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(一)

私は友達から放浪児と言われる。なるほどこのところ数年は定まる家もなく旅やら食客やら転々としたが、関東をめぐる狭小な地域で、放浪なぞと言うほどのものではない。地上の放浪に比べたなら私の精神の放浪の方が余程ひどくもあり苦痛でもあった。然しそれはここに書くべき事柄ではない。

放浪というほどでなくとも、思いだすと、なるほど八方に隠見出没した自分の姿に呆れないこともない。然しながらどこの風景がどうであったということになると皆目手掛かりのない市や町がある。それはみんな酒のためだ。

小田原の牧野信一さんの所に暫くころがっていたことがある。初夏であった。たまに海へは散歩に行った。大概ぼんやり一室に閉じこもっているだけだが(私は旅にでてもいつもそうだ)すると牧野さんが時々庭球選手のような颯爽たる服装でやってきて、おい昆虫採集に行こうと言う。牧野さんの昆虫採集も古いものだが未だに根気よく凝ってるらしい。あの頃は病膏肓の時だった。私は一匹の揚羽蝶をつかまえただけで、昆虫の素ばしこさには手を焼いているから、彼の活躍の後姿を眺めながら煙草をふかしているのであった。小田原の山は蜜柑等の灌木だけで高い樹木が全くないから陰がない。そして空が澄んでいる。牧野さんの精神の抒情には靄というものが殆どないのは彼を育てたこの風景のせだろうと私は考えている。

小田原の記憶というとそれだけで、私は小田原の町を知らない。そのくせ毎晩小田原の町を彷徨していたのだ。酔い痴れていたのである。

山の頂上に豪華なキャッフェがある。そこから見ると街の灯が谷底の中で輝いていてひどく綺麗だ。精神の高まるような気がする。その酒場で私は小田原の医者と知り合って共に酒を飲んだ筈だ。この医者は三十を過ぎたばかりの婦人科医で、血を見ると酒を飲まずにいられないと言うのである。その人の顔は忘れたが音声だけは記憶していた。

それから一年半後のことだが、銀座裏のおでん屋でこの医者に再会した。私は曾て眼下に見下した小田原のあの澄みきった街の灯を思いだしながら生き生きと彼に言った。

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