「勝ったぞ、勝ったぞ、勝ったぞ……」
北川氏の頭の中には、勝ったという意識だけが、風車の様に旋転していた。他のことは何も思わなかった。
彼は今、どこを歩いているのやら、どこへ行こうとしているのやら、まるで知らなかった。第一、歩いているという、そのことすらも意識しなかった。
往来の人達は妙な顔をして、彼の変てこな歩きぶりを眺めた。酔っぱらいにしては顔色が尋常だった。病気にしては元気があった。
What ho! What ho! this fellow is dancing mad! He hath been bitten by the tarantula.
丁度あの狂気じみた文句を思い出させる様な、一種異様の歩きぶりだった。北川氏は決して現実の毒蜘蛛に噛まれた訳ではなかった。併し、毒蜘蛛にもまして恐ろしい執念の虜となっていた。
彼は今全身を以て復讐の快感に酔っているのだった。
「勝った、勝った、勝った……」
一種の快いリズムを以て、毒々しい勝利の囁きが、いつまでもいつまでも続いていた。渦巻花火の様な、目の眩むばかりの光り物が、彼の頭の中を縦横無尽に駈けまわっていた。
彼奴は今日から、一日の休む暇もなく一生涯、長い長い一生涯、あの取返しのつかぬ苦しみを苦しみ抜くんだ。あのどうにもしようのない悶えを悶え通すのだ。
俺の気のせいだって? 馬鹿なっ! 確かに、確かに、俺は太鼓の様な判だって捺してやる。彼奴は俺の話を聴いている内に、とうとううっぷして了ったじゃないか。真青な顔をして、うっぷして了ったじゃないか。これが勝利でなくて何だ。
「勝った、勝った、勝った」
という、単調な、没思考力の渦巻の間々に、丁度活動写真の字幕の様にこんな断想がパッパッと浮んで来たりした。
夏の空は底翳の眼の様にドンヨリと曇っていた。そよとの風もなく、家々の暖簾や日除けは、彫刻の様にじっとしていた。往来の人達は、何かえたいの知れぬ不幸を予感しているとでもいった風に、抜足差足で歩いているかと見えた。音というものが無かった。死んだ様な静寂が、其辺一帯を覆っていた。
北川氏は、その中を、独りストレンジアの様に、狂気の歩行を続けていた。