蟲
本文約43,900字 ・ 読了時間 約88分
あらすじ(AIが作成しました)
柾木愛造は、極度の人間嫌いで孤独な生活を送る青年である。彼は社交を拒み、書斎で幻想の世界に浸っていたが、運命的な再会を機に木下芙蓉という女性に対し、狂気じみた歪んだ愛情を抱くようになる。自動車運転の練習や猟奇的な書物への没頭など、常軌を逸した準備を進める愛造の行動は、やがて取り返しのつかない悲劇へと向かっていく。極限状態の孤独と禁断の愛の果てに、二人が迎えた衝撃的な姿を描く物語である。
リクエストが集まると、作家に音声化の需要が伝わります。
💰 この本を応援する(投げ銭)
一
この話は、柾木愛造と木下芙蓉との、あの運命的な再会から出発すべきであるが、それについては、先ず男主人公である柾木愛造の、いとも風変りな性格について、一言して置かねばならぬ。
柾木愛造は、既に世を去った両親から、幾何の財産を受継いだ一人息子で、当時二十七歳の、私立大学中途退学者で、独身の無職者であった。ということは、あらゆる貧乏人、あらゆる家族所有者の、羨望の的である所の、此上もなく安易で自由な身の上を意味するのだが、柾木愛造は不幸にも、その境涯を楽しんで行くことが出来なかった。彼は世に類もあらぬ厭人病者であったからである。
彼のこの病的な素質は、一体全体どこから来たものであるか、彼自身にも不明であったが、その徴候は、既に已に、彼の幼年時代に発見することが出来た。彼は人間の顔さえ見れば、何の理由もなく、眼に一杯涙が湧き上った。そして、その内気さを隠す為に、あらぬ天井を眺めたり、手の平を使って、誠に不様な恥かしい格好をしなければならなかった。隠そうとすればする程、それを相手に見られているかと思うと、一層おびただしい涙がふくれ上って来て、遂には、「ワッ」と叫んで、気違いになってしまうより、どうにもこうにも仕方がなくなる。といった感じであった。彼は肉親の父親に対しても、家の召使に対しても、時とすると母親に対してさえ、この不可思議な羞恥を感じた。随って彼は人間を避けた。人間が懐しい癖に、彼自身の恥ずべき性癖を恐れるが故に、人間を避けた。そして、薄暗い部屋の隅にうずくまって、身のまわりに、積木のおもちゃなどで、可憐な城壁を築いて、独りで幼い即興詩を呟いている時、僅かに安易な気持になれた。