TRENDIA CLASSIC

江戸川乱歩

1 / 57

この話は、柾木愛造と木下芙蓉との、あの運命的な再会から出発すべきであるが、それについては、先ず男主人公である柾木愛造の、いとも風変りな性格について、一言して置かねばならぬ。

柾木愛造は、既に世を去った両親から、幾何の財産を受継いだ一人息子で、当時二十七歳の、私立大学中途退学者で、独身の無職者であった。ということは、あらゆる貧乏人、あらゆる家族所有者の、羨望の的である所の、此上もなく安易で自由な身の上を意味するのだが、柾木愛造は不幸にも、その境涯を楽しんで行くことが出来なかった。彼は世に類もあらぬ厭人病者であったからである。

彼のこの病的な素質は、一体全体どこから来たものであるか、彼自身にも不明であったが、その徴候は、既に已に、彼の幼年時代に発見することが出来た。彼は人間の顔さえ見れば、何の理由もなく、眼に一杯涙が湧き上った。そして、その内気さを隠す為に、あらぬ天井を眺めたり、手の平を使って、誠に不様な恥かしい格好をしなければならなかった。隠そうとすればする程、それを相手に見られているかと思うと、一層おびただしい涙がふくれ上って来て、遂には、「ワッ」と叫んで、気違いになってしまうより、どうにもこうにも仕方がなくなる。といった感じであった。彼は肉親の父親に対しても、家の召使に対しても、時とすると母親に対してさえ、この不可思議な羞恥を感じた。随って彼は人間を避けた。人間が懐しい癖に、彼自身の恥ずべき性癖を恐れるが故に、人間を避けた。そして、薄暗い部屋の隅にうずくまって、身のまわりに、積木のおもちゃなどで、可憐な城壁を築いて、独りで幼い即興詩を呟いている時、僅かに安易な気持になれた。

江戸川乱歩の他の作品