家の話
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あらすじ(AIが作成しました)
天保八年の書物に記載された士農工商という階級制度の起源を論じる。かつての日本社会においてこの分類は固定的なものではなく、職業の転換や世襲の困難さを指摘する。特に武士が農家から分離した大革命や、商人の出現過程を辿り、近世の町人や農家における家名の保持や系図へのこだわりを分析する。歴史的経緯を踏まえつつ、日本人が持つ固有の遺伝と国民の存続の重要性を提唱する随筆。
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四民
士農工商という語を日本で用い初めたのはいつ頃のことであろうか。天保八年にできた『燕居雑話』という書物には、「世俗よく士農工商ということをいえども何に出でたることを知らず云々」の話が載っている。この説によると、支那ではごく古く『淮南子』の斉俗訓にも『漢書』の食貨志にも、いわゆる四民の別が説いてあって、その範囲がほぼ吾々の士農工商と同じであるというが、これをわが国に移したのはおそらくは近世の漢学者の所業で、日本の社会組織について、深い研究を尽した上の分類でないように思われる。
しかるにこの名目は新時代になっても、少なくも吾々の少年の頃までは、いたって盛んに公私の間に用いられたものである。たとえば明治の初年の布告には「四民平等」などという語もあったかと記憶する。あたかも本来四民が平等でなかったかのごとく看做しているのである。西洋人の日本記事の中などにも、これを興味あることとして語り伝えているために、あるいは日本には古くから天竺などのように、四種の階級が截然としておったかのごとく、吾も人も信ずるようになった。しかしこれはだいたいにおいて間違いである。今日でも大ザッパな人の頭では、士農工商の内の昔の武士に差し代えるに今日の文武官をもってして、やはりかくのごとき目安をもって社会が四つに分類し得るかのごとく考えている人がないともいわれぬ。昨年の大修繕にペンキを塗りかえるまでは、衆議院の仮議事堂の傍聴席の手摺に、士農工商を現わした四組の模様があったことは、人のよく記憶するところである。
この類の誤りは、延いては国民の社会的国家説にも悪結果を生ずべきものであるから、軽々に看過してはならぬと思う。多くの場合無益の詮索のごとく考えられている歴史の学問は、かくのごとき場合に吾々を正しきに導くただ一つの頼みの綱である。吾々の観るところをもってすれば、個人個人の生活を得る職業としてはなるほど種々の差があった。しかしこれによって国民を大別することを得るためには、永い間の世襲と職業転換の困難な障碍がなければならぬのであるが、それを立証することは事実はなはだ困難である。
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