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TORENDIA

和州地名談

本文約7,300字 ・ 読了時間 約15分

あらすじ(AIが作成しました)

大和における地名研究の意義と方法を論じる随筆。地名は単なる名称にとどまらず、一民族の文化史や庶民の生活変遷を映す無意識の記録であると説く。著者は、地名の変遷や増加の過程を比較することで、平穏無事に見える歴史の奥行きを読み解く可能性を示す。また、古い地名が時代を経て変化し、別の漢字が当てられる事例として「蛇穴(サラギ)」を取り上げ、その名称が土器の製法や民俗的観念といかに結びついていたかを考察する。

柳田國男

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🎧 和州地名談 / 朗読音声: VOICEVOX:春日部つむぎ

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一

「さらぎ考」という論文を、『大和』誌上に見出した時から、私はいつかは一度、大和の地名という問題を考えてみたいと思っていた。明治十九年以前にできた地理局の小地名調査は、奈良県の分は相応に綿密で、自分もその中から若干の抜萃をして持っていたのだが、誰かに貸してあって今は利用し得ない。そうしてその原本は焼けてしまったのである。控えが県庁にあるか、あるいはまた分散してそれぞれの町村にでも伝わっているか。とにかく地名は決して一地限りで生まれたものでない以上、比較ができなければ本当の意味はわからぬと同時に、比較によって思いがけないことを発見し得る望みもある。私がこれを日本民俗学の練習に、利用してみようとした動機はそこにあった。しかも大和は最もこの方法を説きやすく、かつ多くの人の関心をこの方面に、集注せしめやすい国ではないかと思っているのである。

最初私はもっと弘い地域、たとえば中国一帯とか奥羽六県とかにわたり、また時にはわざと懸け離れた遠方の土地から、似寄ったたくさんの地名を拾い集めて来なければ、この比較の事業は完成せぬように思っていたが、それは現実にそう容易な試みではない。地方の学者の免れがたい弱点は割拠であった。えらい人でも他所の事は知らない。またそれでよいものと心得ている。その反動としては、たまたま少しばかり外の事実を手に入れると、釣合いもなくそれに価値を置き過ぎる。結局全国をまんべんなく、見渡し得る時まで待たなければならぬのである。ところで大和で地名を考えてみようとする場合ばかりは、そうまで待ち遠しい思いをせずとも、ここだけでも若干の成績が挙げられそうな気がする。少なくとも地名が一民族の文化史の上に、どれくらいの発言権をもつかを見究めるだけは可能であって、従って他所の類例を捜す熱意と、それを判別する鑑識とを養い、ある程度孤立の不利を補い得るかと思う。自分は余力が乏しくて何の助勢もできそうにないが、将来地名研究の新機運が、特に大和の地に興らんことを期しまた念じている。

二

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