稀有の文才
本文約2,100字 ・ 読了時間 約5分
あらすじ(AIが作成しました)
芥川賞受賞を熱望した太宰治に対し、著者は友情ゆえの苦言を呈した作品を執筆する。しかし当人との関係は疎遠となり、著者は遠くからその才能を見守る。戦時中に読んだ『佳日』の完成度に驚嘆し、晩年の『津軽』においてもその卓越した文才を高く評価する。本書は、長年太宰の作品と対峙し続けた著者が、彼の文学的特性や複雑な交流の軌跡、そして自身の遺憾の念を綴る随想である。
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芥川賞の季節になるといつも太宰治を思ひ出す。彼が執念深く賞を貰ひたがつたのが忘れられないからである。事のてんまつは一度書いた事もある。当時それをバクロ小説か何かのやうに読んだ人もあつた模様であつたので久しく打捨てて作品集にも入れなかつたが、この間「文芸」に再録されたのを久しぶりに再読してみて一言半句の悪意もない事を自分で確めたので改めて作品集にも安心して加へた。
あの作品には何の悪意もなくむしろ深い友情から出た忠告があつたつもりであるが、今冷静に読んでくれればこの事は何人にも了解して貰へると思ふ。しかしあの作品は遠慮会釈なく本当の事をズバリと云つてゐる。自分は本当の事なら誰にも憚らず云つていいと信じてゐる。世俗人ではなく、苟も文学にたづさはる程の人間ならこんな事ぐらゐは常識と思つてゐるのに、あまり本当の事を云はれたのが太宰には気に入らなかつたと見える。見え坊の彼には鏡の前にアリアリと写つた自分の姿が正視するに堪へず恥づかしかつたのであらう。さういふ見え坊の慚羞や気取が太宰の文学をハイカラに洒脱な、その代りに幾分か弱いものにしてしまつてゐる。
あまりに本当の事を見、本当の事を云ひすぎる自分のところへ、彼はいつの間にか出入しなくなつてしまつて専ら井伏のところあたりに行つてゐたやうである。僕もコワレもののやうに用心しながらつき合はなければならない人間はやつかいだから、出入しなくなつた彼を強ひて迎へる要もないと思ひながらもその才能は最初から大に認めてゐたつもりである。芥川賞などは貰はないでも立派に一家を成す才能と信じ、それを彼に自覚させたかつたのが「芥川賞」と題した彼をモデルにした作品を書いた動機でもあつた。
世俗人や凡庸な文芸人などがそれをどう読まうと問題ではなかつたが、太宰自身がそれを自分の読ませたいやうに読み得なかつたのは自分にとつて頗る残念であつた。さうしてそれ以来自分のところへ近づかなくなつた彼に対しては多少遺憾に思ひながら遠くからその動静を見守つてゐたものである。