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TORENDIA

趣味の修養

本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分

あらすじ(AIが作成しました)

汽車の窓から見える小ぢんまりとした家やその主人の佇まいに魅力を感じる日常の視点から、人としての趣味の修養の重要性を論じる。世代間に広がる趣味の隔絶を指摘し、老人の偏狭さと青年の浅薄さが互いの理解を阻んでいると分析する。物質主義に流される現代社会において、多様な価値観を融和させ、円満な人格を形成するために、老人と青年双方が偏りなく真実の美を追求し、より豊かで意味深い生活を目指すべきだと説く講演記録である。

會津八一

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🎧 趣味の修養 / 朗読音声: VOICEVOX:波音リツ

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何處までも/\芋畑や雜木林ばかりで退屈な汽車の窓に、小ぢんまりとした木立が見えて、それが近づくにつれて庭には草花が綺麗に咲かせてあつて、その中に白い鷄が遊んで居る、家の造りも面白い、こんな時に、飛ぶやうに通り過ぎて行く旅人の目にも、先づ床しいものは其家の主人である。また裏長屋の軒竝を歩いて居るうちに、不圖ある家の窓から床の間の一軸、それが名も無い畫家の作であるかも知れぬ、その前に活けてある花瓶が市價の乏しいものであつても、無暗に其家の主人を懷しがらせることがある。吾々が人を懷かしく思ふやうに人がまた吾々を懷かしく思ふこともあるかもしれぬ。私はこれが面白いことだと思ふ。しかし世の中には、誰に見せても少しも床しくも懷しくも思はれぬ人もあり、また誰を見ても床しくも感じない人もある。

一體或る種類の人々が吾々の目に床しく見えるのは第一に其人にそれだけの趣味が備つてゐるからだ。しかしそれにしても吾々自身に、人を床しく思ふだけの趣味が無ければならぬ。磁石でなければ鐵片を引きつけない。鐵片でなければ磁石に吸ひつかない。たゞの石ころのやうな人間にはなりたくないものである。

吾々が世の中を行くのに、必ずしも名利を一生の目的としなくとも、路は名利の中をうねる。その間に起るいろ/\の問題にぶつかつてそれを切り拔けて進むだけの覺悟が無くてはならぬ。人間がたゞ蒸氣汽罐のやうに強健で砲彈のやうに勇氣があつても、それは羨むべきではない。道徳も、藝術も、宗教も戀愛も此一面が備つてこそ生れ出るのだ。しかしまた、人間として此一面を備へただけでは、所謂文弱に傾いて仕舞ふ。自分の枝に咲いた美しい大きい花を支へるだけの力がなくて、泥に曳きづる蔓草のやうな生活も決して羨ましいものではない。全體として完全な人格者には、この兩面ともに大切である。青年の頃は修養の時代だ、趣味の修養を忘れてはならぬ。

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