綜合大學を迎へて
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あらすじ(AIが作成しました)
新潟県への総合大学設置決定を機に、理想的な高等教育のあり方を論じる。外見的な設備や建物の充実以上に、優れた教師と学生を集めるための本質的な環境整備が不可欠であると説く。また、既存の大学で見られたような卒業証書や特典を目当てにする姿勢を排し、真に学問を志す高い精神と覚悟を持つ重要性を訴える。県民が自ら学問への強い渇望と必要性を自覚し、世界文化に寄与する最高学府の創造に向けた奮起を求める。
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綜合大學が新潟に出來ることに本ぎまりにきまつたといふことはまことにうれしい。いち早く氣勢を上げて、猛烈に奔走してくれた指導者たちに感謝しなければならない。
けれども、綜合大學は、もう全國に二十も出來てゐる。ひろく見渡せば、珍しいものがこれから出現するのではない。これが出來たからといつて、この縣が他縣に對して大に威張れるといふのではない。もし大に威張りたいなら、實質的に、ほんとに上等のものを作つて見せなければならない。貧弱なものでは威張るどころの話でない。
大學といふのは學校としては一番高等のもので、最高の學府などといつてゐる。敷地の廣いのも、建物の立派なのも必要ではあるが、それより大切なのは、いい教師といい學生のたくさん集まることである。いい學生はいい教師のゐる大學でなければ集まつて來ない。いい教師は器械や、標本や、參考書が必要なだけ設備してもらへないやうなところへは來てくれない。だからかうした設備のことは敷地や建物よりずつと大切だ。そんなことは分りきつてゐるといつてはいけない。ほんたうに分られてゐたとは思はれない。その證據は、今日までに出來てゐた二十の綜合大學でも設備がよくて、教師も學生も理想的に整つてゐる所ばかりであつたとはいへない。だからまた、これから我等の縣で作る大學が、これらの不完全だらけな從來の大學より、もつと粗末なものであつてはならない。勿論從來のものを凌駕するだけの意氣込も熱意もなければいけない。その覺悟がついてゐて、その上で、私のいふことを、分り切つてゐるといふならば、まことに頼もしい。
これまでは、教育のことは御上まかせで、文部省の役人が案をひねつて、上から命令してやらせたが、これからは、國民が自分なり自分の子弟なりを教育する機關や方法を、自分でよく考へなければならなくなつた。自分等のために自分等が實行することを、自分等で考へるのはあたりまへのことである。新潟縣がいい大學を持つやうに大に考へてもらひたい。