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TORENDIA

鴎外記念館のこと

本文約1,500字 ・ 読了時間 約3分

あらすじ(AIが作成しました)

森鴎外の記念館建設を機に、著者が明治期の出会いから交流までを回想する随筆。戯曲の上演会場で初めて面会した経緯や、上田敏の紹介で千駄木の邸宅を訪ねた日々、慶應義塾の教授として招かれた際のアドバイスなどを詳述する。さらに、三田文学での編集者としての関わりや、晩年の歴史小説・考証文学の執筆活動、そして体調を崩すまでの晩年の様子について、一人の文学者としての敬意を込めつつ当時の交遊と業績を綴る。

永井荷風

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森鴎外先生の記念館が先生の健在中その居邸の立つてゐた駒込千駄木町十九番地に建てられると云ふことで、わたくしは文京區長井形卓三氏[#「井形卓三氏」は底本では「井形卓二氏」]、また建設委員會事務長代理中出忠勝氏の訪問を受けた。二氏はわたくしに一日も早く森先生に關する文章を書いて新聞か雜誌に載せて貰ひたいと言はれた。記念館の建築費は千五百萬圓ほどになるさうで、此の金額の寄附を募集する趣意書やら何やら、いづれも印刷せられた文書を見せて頂いた。こゝでわたくしは森先生の事について何か書いて見なければならないことになつた。

然し先生の傳記また著書に關する事は文壇諸名家の手に成るものが既に少なからず世に公にされてゐる。又わたくし自身も、先生の舊著の改版されるたび/\出版商の依頼を受けて解説のやうなものを書いた事があつたので、今更改めて筆にすることは殆ど無いと云つてもいゝやうに思はれる。

わたくしが始めて先生の謦に接することを得たのは、明治三十三四年頃先生の戯曲玉篋兩浦島が伊井一座の新派俳優によつて市村座の舞臺で演じられたのを見に行つた時であつた。その時先生は雜誌明星の主筆與謝野寛やその雜誌に關係のある人達と共に見物席に來て居られたので、幕間にわたくしは雜誌の人から紹介されたのであつた。それから一二年の後わたくしは西洋へ行き五六年過ぎて歸つて來た。彼地で上田敏先生と親しくなつた。

上田先生は古くから森先生とは交際があつたので、わたくしは上田先生をたよりにして始めて千駄木のお屋敷へお目にかゝりに行つた。明治四十一年時分の事で、その頃には丁度森先生のところには常盤會の歌會につゞいて觀潮樓歌會が開かれたり、又雜誌スバルが創刊されやうといふ頃なので、夜晩くまでいろ/\お話を伺ふことができた。

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