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TORENDIA

新歸朝者日記 拾遺

本文約2,900字 ・ 読了時間 約6分

あらすじ(AIが作成しました)

葉山の別邸で隠居生活を送る父を訪ねた息子は、自国の風物や文化に対し、海外の芸術を通さなければ感動できない自分に葛藤を抱く。再度の外遊を切望し父の承諾を得ようとするも、かつての名声に満足し淡々と漢学に親しむ父の姿を前に、息子の焦燥は深まる。日本の芸術における独自の精神とは何かを模索し、自国の現状に不満を募らせる青年が、海外の文学や音楽の思想と対比しながら、自己の精神的な拠り所を問い続ける姿を描く。

永井荷風

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二月五日  葉山の別邸に父を訪ねた。玄關からは上らずに柴折戸を潜つて庭へ這入ると、鼈甲の大きな老眼鏡をかけた父は白髯を撫でながら、縁側の日當りに腰をかけて唐本を讀んで居られたが、自分の姿を見ると、何より先に、去年來た時よりも庭の石に大分苔がついたであらうがと云はれた。庭はさして廣いと云ふではないが、歩むだけの小徑を殘して、一面に竹を植ゑ、彼方此方に大きな海岸の巖石を据ゑ立てゝ、其の傍には陶器の腰掛を竝べた。振向くと十疊の座敷は新しい疊の表ばかりが妙に廣々として白く光つて、其の片隅の床の間には、何處かの古碑から寫したらしい石摺の掛物がかゝつて居る。盆栽の梅が置いてあつて、其の傍には唐本の套が二ツばかり重ねてある。明け放した襖越しに見える次の間の書齋には、敷き延べた毛氈の上に唐紙の卷いたのが載せてあつた。縁側近くに置いた古銅の手あぶりから盛に香の薫りが流れて來る。

「東京はまだ寒いか。」と父は唐本の間に眼鏡をはさんで下に置いた。蟲の喰つた表紙に杜詩全集と書いたのが僅に讀まれた。

「風が吹くと夜なぞは隨分寒いです。」

「梅はまだ咲かないか。百花園なぞへは行つて見んか。」

「向島ですか。行きません。」

「日比谷の公園なぞへは大分若い人が行くやうだな。世の中は代つたものだ。昔は詩佛老人が東西南北客爭來といふ聯を書いた百花園も、どうやら維持が出來んで賣物になつとるさうだな。」

「日本の名所古跡は皆な破壞されて電車道になるんでせう。情けない國です。」

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