阪神見聞録
本文約3,300字 ・ 読了時間 約7分
あらすじ(AIが作成しました)
大阪の電車内で目撃した子供の排泄行為や、見知らぬ他人の新聞を平然と借り受ける乗客の厚かましさを綴る。さらに、座席を詰めない利己的な態度や、温泉で初対面の相手に対して無遠慮に谷崎潤一郎本人であるかを確認する人々の非常識な言動を記す。東京人の常識とは異なる大阪独特の風俗や公徳心の欠如を冷ややかに観察し、上方の人間の気質を批判的に描き出す随筆である。
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大阪の人は電車の中で、平氣で子供に小便をさせる人種である、――と、かう云つたらば東京人は驚くだらうが、此れは嘘でも何でもない。事實私はさう云ふ光景を二度も見てゐる。尤も市内電車ではなく、二度とも阪急電車であつたが、此の阪急が大阪附近の電車の中で一番客種がいいと云ふに至つては、更に吃驚せざるを得ない。
一度は何でも、寶塚で菊五郎の道成寺を見た歸り途の、滿員の電車の中だった[#「だった」はママ]。車臺の中央の吊り革にぶら下つてゐると、何處かでシヤアシヤアと放尿する音が聞える。そのうちに足もとへ水が流れて來る。變だなと思ふと、眞つ黒な人ごみの、ぎつしり詰つた二三人の頭越しに、一人の女親が三つ四つの幼兒を抱いて蹲踞まつてゐるのが眼に留まつた。此の女親の不作法は素より論外であるとして、私の不思議に思つたのは、此れを見てゐる車掌もお客も、別に咎め立てをしないばかりか、不愉快な顏つきをするのでもない。何しろ立錐の餘地もない中で、蹲踞まつてゐるのさへが不都合であるのに、近所の人はシヤアシヤアの飛ばツ散りぐらゐ受けるだらうが、誰も平氣で、全く無感覺な樣子をしてゐる。寶塚のお客が斯う云ふ人種の集まりだとすると、菊五郎がイヤ氣を起しても尤も至極と云ふべきである。
二度目の時も矢張り滿員の電車だつたと覺えてゐるが、それも女親が幼い子供に、小便でなく糞をさせてゐた。念入りにも車臺の床へ新聞紙を敷き、その上へさせてしまつてから、今度は新聞紙を手で摘まみ上げ、お客の鼻先へ高々と翳して、雜沓の間を辛うじて分けながら、窓の外へ捨てるのである。甚だ尾籠なお話で、東京人には恐縮であるが、此方の人はこんな事を何とも思つてゐないらしい。
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