鴨川を愛して
本文約5,300字 ・ 読了時間 約11分
あらすじ(AIが作成しました)
欧州留学から帰国後、京都大学教授として赴任した著者が、京都での生活や加茂川のほとりで過ごした日々を綴る。東三本木の下宿「信楽」での風流な文人たちとの交流や、その後の居住地での思い出を通じて、折々に耳にしたカジカや千鳥の鳴き声、四季折々の自然の情景を描く。幼少期より各地の川辺で暮らした縁から、川に対する深い愛着を抱く著者が、文献調査を交えながら加茂川の美しさや歴史を再発見する様を温かな視点でまとめる。
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鴨川を愛して
上賀茂のダムのあたりの河鹿のね老いには今やきこえすなりぬ
私が京都にきたのは、欧州留学から帰った直後の明治四十二年五月でした。いまから、もう五十三年も前のことです。
さっそく、京都大学教授として教壇に立つはずでしたが、当時は、いまと違って、大学だけは七月に学年が終わり、九月十日から新学年がはじまることになっていましたので、三学期は教壇に立たず、教授会に顔を出したり、新進の人たちと話し合ったりしながら、東三本木の「信楽」という下宿兼旅館のようなところで過ごしました。
ここは、頼山陽のいた山紫水明処、別名を水西荘ともいった地の北隣で、加茂川の西岸にあり、川を隔てて東山一帯はもとより、比叡山、比良山が一望できるところでした。また、このあたりは、幕末から明治にかけて文人墨客が多く住まいしたところで、対岸には漢学者梁川星巌や、陽明学者春日潜庵の住んでいた家がみえたほか、南画の大家富岡鉄斎、越前の国学者橘曙覧(井手曙覧ともいう)などもおりました。いまは、すっかりかわって、東三本木にそのおもかげはなくなりましたが、当時は、柳暗花明の風流のちまたであったわけで、明治末期の風流文学史になるところが、あちらこちらに残っておりました。
私のいったころ、この「信楽」は、谷出愛子という中年の婦人が経営しておりました。この人は、与謝野晶子と女学校友達でしたので、よく食事の給仕にきてくれたときなど、晶子さんのことや、鉄幹との愛情関係などを話題にしたり、あのあたりの情緒などをきいたものです。こうして二カ月あまり、ここで暮らし、朝な夕なに加茂川の情緒を味わったことが、私が加茂川を愛するきっかけになったといえましょう。