鉛筆のしん
本文約2,500字 ・ 読了時間 約6分
あらすじ(AIが作成しました)
日本の戦後社会において軽視されるようになった「しつけ」の意義を綴る。著者は、礼儀を重んじる生活習慣や学用品の手入れといった日常の規律こそが、個人の品位を高め、民主主義社会を支える基盤であると説く。また、科学者としての経験を交え、専門分野に限らず、物事を扱う丁寧な作法や心構えを養うことこそが、真の学問を追究し、人間としての価値を確立するために不可欠なプロセスであると論じる。
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私たちは小さい時から、「おぎょうぎよくなさい」ということばを、いつも聞かされたものです。箸の持ち方、茶碗とお椀とお皿の置き方、食べ方、坐り方から、帯のしめ方までずいぶん細かいことを、いちいちやかましく注意されました。
こんなことは、昭和の時代になってから、だんだんゆるくなってきました。戦争中には、一時、ゆがめられた形で、しつけがやかましくいわれましたが、本当のしつけは忘れられてしまっていました。とくに、戦争が終ってアメリカの新しい考え方がはいってきてからは、しつけは、やかましくいわれないどころか、まるで悪いことのように思われているようです。このことは、今のうちにもう一度ゆっくり考えて直しておかないと、困ったことになる心配があります。
しつけをやかましくいうことが、どうして新しい考え方にもとるのでしょうか。新しい考え方といわれるのは、ひとりひとりの人間の値うちを尊ぶというのが、一つの大きなねらいです。そこで、いっそうその人の値うちが高くなるように、目上の人には敬いの心を持つことや、服をきちんと着ることや、食事の時、他の人にいやな感じを持たれないように、食卓の礼儀を守ることなどを細かくやかましくいうことは、新しい考え方にもとるのではなく、むしろ、新しい考え方に合うわけです。
みなさんは、アメリカの家庭では、しつけのことなんかやかましくいわれないだろうと思ってはいませんか。ぶたれるようなことは、絶対にないだろうと思っているでしょう。
ところが、本当はそれと全く正反対で、アメリカでは、しつけがとても厳しいのです。アメリカでは、小さい時からお客様といっしょに食事をするならわしですから、食事の細かい作法などは、小さい時から、ちゃんとしつけられます。うそをいったり、間違ったことをすると、別に両親でなくても、ようしゃなく叱りつけます。おしりをぶたれることも、珍しくはありません。
こうして、よいしつけを身につけた人が多くなればなるほど、正しい民主主義の明るい社会が生まれていくのです。
戦争の終った次の年だと思いますが、終戦後はじめて列車に二等車がつけられた頃のお話です。