妻のこと
本文約3,800字 ・ 読了時間 約8分
あらすじ(AIが作成しました)
著者自身の家族に関する記述の一環として、妻・隆子との出会いと結婚に至る経緯、およびその後の波乱に満ちた生活を描く。鳥羽での出会いから文通を経て、著者の失踪や窮乏など多くの困難を共有した二人の歩みを振り返る。独身主義を抱きながらも、病に倒れた彼女への責任感から結婚を決意し、小説家として成功するまでの不安定な職業生活や、質屋通いを繰り返した苦しい時代を妻がいかに支え続けたかを綴る。
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この本を編集して、目次を並べてみたとき、祖先のことは書いてあるのに、直接の父母のことがないのはおかしいと思ったので、あとから「父母のこと」を書き加えたが、すると今度は、父母のことがあって、もっと直接な妻のことが何も書いてないのはおかしいという感じがした。息子や孫は、これから先が長いのだから、しいて書くにも及ばないが、私と同伴している妻のことに触れないのは、やっぱりおかしいのである。そこで、ごく簡単に書き加えることにした。
妻は村山隆子といって、今は三重県鳥羽市に編入された坂手という島の米穀、酒、雑貨商(田舎によくある「よろず屋」である)の娘であった。当時は坂手村といい、漁師ばかりの島で、隆子の父は雑貨商は人まかせで、村に一つの小学校の先生をしていたという。この父は早く歿して、私は会っていないが、そういう田舎にしては好学の人であったようだ。
母がしっかりもので、父の歿後、隆子の兄の年少の間は、一人で店を切りまわしていた。村山家は代々万右衛門を名乗り、そういう商売をしている家は、ほかに一軒しかなかったので、まず村での資産家であった。今は隆子の兄も半ば隠退して、その長男が店をやっている。
隆子は高等小学校は対岸の鳥羽町へ舟で通い、それから、坂手からは遠くにある亀山町の三重県立女子師範に入学し、下宿したり寄宿舎に入ったりして、そこを卒業し、卒業と同時に、自宅のある坂手村の小学校に奉職した。